歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

かっぱ橋本通り付近に生息している河童たちを探す in 東京都台東区 Part1

記憶があいまいだが、小学生のころかっぱと呼ばれていたことがあったような。
どのような理由だったか全然覚えていないが、かっぱに似ていたのかもしれない。
それしかないだろう。

そんな縁?もあり、かっぱを探してきた。

 

訪問日 2023年3月18、20日

2023年3月18日 雨(最高気温  9.2 最低気温7.8)
2023年3月20日 晴(最高気温19.2 最低気温6.1)

 

かっぱ橋本通り付近を18日は上野駅方面から、20日は浅草方面から探索する。

 

スカリツリーが通りの正面に見える。

 

 

曹源寺

まずはかっぱ寺として有名な曹源寺から

かつぱ寺  三毘沙門天  河童大明神  出世地藏尊と刻まれている。

 

「かっぱ寺」の伝承

巨獄山曹源寺は曹洞宗に属し、天正16年(1588)に和田倉(千代田区)に開かれ、のち湯島天神下に移り、明暦の大火(1657)の後、現在地に移転したと伝える。当寺の通称を「かっぱ寺」という。
伝承によると文化年間(1804~1817)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。この付近は水はけの悪い低地で雨が降ると洪水となり、人々は困窮していた。そのため川太郎は私財を投じて排水のための堀割工事にとりかかった。このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、堀割工事が完成した。この河童を目撃すると商売繁盛したという。
この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。
当寺には河童大名人が祭られるほか、合羽川太郎の墓とつたえる石碑があり、「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれている。

平成15年(2003)3月 
台東区教育委員会

 

「かっぱのぎーちゃん」が入口右手で出迎えてくれる。

芸大生の作品らしい。
別の場所にあったらしいのだが、何らかの理由でここに移されたらしい。
特にお寺との関係があるわけではないようだ。

頭の杭みたいなのは、何だ?

見た目はかっぱに見えない。

どのように立っているのかキニナル。

 

かっぱ堂とミモザ

河童連邦共和国から奉納された幟旗が見える。

 

「河太郎 義人」の扁額

 

お賽銭箱

お堂の中は事前に予約しておけば入れるらしい。

中には、河童大明神をお祭りする祭壇、河童の手のミイラ、水木しげる先生や手塚治虫先生などの天井絵などがあるそう。

窓から覗いてみたが、怖そうな雰囲気なので、予約してまで入りたいとは思わなかった。

 

かっぱ堂の左側

文化の頃、合羽川太郎が私財を投じ住民の困窮を救うために附近の治水工事を企て、その義に感じた河童が工事に協力して完成した。不思議と、この河童を見たものは運が開けたと伝えられ、附近繁栄の義人川太郎と共に河童の福の神として当寺に祭られた。

 

かっぱ河太郎

次は、かっぱ河太郎を見に行こう。

よく見てみるとかっぱのタイル絵があった。

 

かっぱ河太郎像の碑

 

所在地/東京都台東区松が谷 2-25-9
合羽橋道具街中央清水寺並びポケットパーク)
建立年月日/平成15年10月7日(火)
建立者/東京合羽橋商店街振興組合
構造・規格/高さ 1.5メートル
本体ブロンズ(金箔張り)
制作者/ 西村 祐一、北村 真一
制作期間/約1年

 

かっぱ橋の由来

合羽橋の由来には二つの説がある。 その一つは、今から160年ほど前の文化年間のころ、この一帯は、水はけの悪い土地でたびたび出水を起こしていた。 そこで、合羽川太郎(本名:合羽屋喜八)は、私財を投じて排水工事に着手したが、工事はことのほか難航した。昔、川太郎に助けられたことのある隅田川の河童たちは、これを見ていたく同情し工事を手伝ったおかげで、掘り割り(当時は新堀川と呼ばれた)は見事に完成した。この故事にちなんで「合羽橋」としたというものである。
もう一つの説は、今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、「合羽橋」と呼ばれるようになったというものである。

 

 

東光院

所在地 東京都台東区西浅草3丁目11-2

ちょうど桜が咲いていた。

 

一体だけだと思っていたが別のカッパさんたちがいた。

 

かっぱ橋本通り沿いにいたのだが、このお寺に移設されたようだ。

真上からお皿を見る

このカッパ像は、合羽橋道具街のそばに建つ東光院の住職さんが、地元商店街の発展とともに、訪れたみなさんに親しんでほしいとの願いを込めて、設置したものです。たまたま東光院の檀家(だんか)さんが志木市で多くのカッパ像を作り続けている内田榮信(えいのぶ)さんと知り合いであったことから、このカッパ像も内田さんに制作を依頼しました。(埼玉県志木市ホームページより)

かっぱ?たぬき?

こわもての像が睨んでいた。

甲羅があるからかっぱだと思われるが、頭の上にお皿がない。

 

Part2に続く。