歩・探・見・感

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伊能忠敬像と三等三角点 in 富岡八幡宮

特に予定はしていなかったが、富岡八幡宮の近くに来たので、久しぶりに参拝に訪れた。

 

訪問日  2023年4月22日

訪問場所 東京都江東区富岡 1-20-3

 

境内に伊能忠敬像があった。

以前も撮ったことがあるかもしれないのだが、記憶にないので、念のため撮っておこう。

近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は、事業に成功したあと五〇歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えていました。
約二〇〇年前の寛政十二年閏四月十九日(陽暦では一八〇〇年六月十一日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷 (北海道)測量の旅に出かけました。
忠敬先生はこのときを含めて全部で一〇回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第八回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣 して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。
伊能測量開始二〇〇年にあたり、「伊能ウォーク」、地図・測量、土地家屋調査士伊能忠敬研究会などの関係者が中心となって、広く一般から浄財を公募して建立されました。
平成十三年十月
伊能忠敬銅像建立実行委員会

製作 酒井道久氏
監修 伊能 洋氏
☆監修の伊能洋氏は忠敬翁より7代目の御子孫に当たる。

 

平成13年10月20日、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬翁の銅像富岡八幡宮境内大鳥居横に建立され除幕式が行なわれた。
除幕式当日は晴天に恵まれ、当宮神職による厳粛な神事のあと、映画「伊能忠敬-子午線の夢」で忠敬翁を演じた加藤剛さん、妻・お栄役の賀来千香子さんらが役柄の扮装のまま駆けつけ、地元・数矢小学校の児童たちと除幕を行なった。

 

深川江戸資料館

上総国山辺郡小関村(千葉県九十九里町)に生まれ、十七歳のとき、佐原(佐原市)で酒造業を営む伊能家へ婿養子として入りました。寛政六年 (1794) 五十歳で家督を譲り、翌年江戸へ出て深川黒江町に住みました。江戸では幕府天文方高橋至時に入門し、寛政十二年には蝦夷地への測量に出発します。以来、忠敬の全国測量は十七年間で十次にわたりました。測量に出かけるときは、必ず富岡八幡宮に参詣したといわれ、 忠敬の没後、高橋景保らによって「大日本沿海輿地全図」 が完成しています。

 

道路の車除けにあった。

伊能忠敬かもしれない。

 

三等三角点「富岡八幡宮

全世界共通の地球上の位置を表す測量及び水路測量の基準を「世界測地系」といいます。
わが国は平成13年(2001年)6月の測量法の改正により日本独自の測地系から世界共通の世界測地系に変更することになりました。
この世界測地系を採用した記念として、測量技術が21世紀のグローバルで豊かな社会に貢献できることを願って、社団法人 全国測量設計業協会連合会の創立40周年にあたり、このモニュメントを建立したものです。

平成13年(2001年)10月吉日建立
社団法人 全国測量設計業協会連合会

 

三等三角点「富岡八幡宮
経度    35度40分15秒61
緯度  139度47分56秒74
標高    1.2m

「基準点を大切にしましょう」  国土交通省国土地理院

銅像の横には新地球座標系に準拠した国内第1号の三等三角点「富岡八幡宮」も設置され、伊能忠敬翁の銅像と同時に除幕された。