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宝来公園で発見した東京市時代の痕跡 in 東京都大田区田園調布

今日はどこに行こうかなとネットで調べていたところ、東京市大森区田園調布時代の表札が消滅の危機にあるということで、急遽田園調布へ行くことにした。

現地に着くと前にミキサー車が止まっており、作業員もいたので、無事であることを確認だけして、しばらく周辺を探索してみることにした。

 

発見日  2023年5月30日

発見場所 東京都大田区田園調布三丁目

 

大田区立宝来公園

 

宝来公園案内図

 

大田区自然観察路「雑木林のみち」
ポイント1 宝来公園の生物

宝来公園には高さ20mを越える大木群があり、貴重な野鳥の棲家となっています。また、園内の池やその周辺でも多くの野鳥や昆虫を観察することができます。季節ごとにどんな生物がいるのか調べてみましょう。

 

公園の紹介がメインではないので、本題に移ろう。

 

1枚目の写真に写っていたのがこの銘板だ。

一番左側に東京市の文字が見える。

この銘板について書かれたものは見つからなかったので、分かる範囲で解読を試みてみよう。

 本公園は多摩川の沿岸旧
荏原郡下沼部村の丘陵に位
置附近は亀甲山古墳を始め
上〇文化の遺跡に富み風光
〇〇にして樹林湧水〇美〇
〇〇武蔵野の俤を残せり
 大正十四年田園都市の開
発に際して〇〇汐見台の地
を公園と〇し以て旧景を保
存せられしが昭和九年十月
所有者田園調布会は之を本
市公園地として寄付せられ
〇〇施設〇り開園に際して
其由来を刻し同会の芳志を
後世に〇ふ
 昭和十一年四月

読み取れない文字ばかりで読み取った文字も間違っているかも知れないが、書き起こしてみた。

これは、下で紹介する「宝来公園の由来」に現代文で書かれているので、この作業は意味はないことかもしれないが、自分としては、この文章を解読してみたかったのである。

暇だねえ、と自分でも思う。
はたから見ると無駄なことをしていると思うだろうが、全く歯が立たないものは別として、こういうものを見ると、放置できなくなってしまうような自分になってしまったのだ。

と調べものをしながら書いていたら、解読した人がいた。
上の写真よりもう少し状態がいい時(10年以上前)に、解読されたらしい。
段落など若干修正を入れた。


 本公園ハ多摩川ノ沿岸舊
荏原郡下沼部村ノ丘陵ニ位
シ附近ハ亀甲山古墳ヲ始メ
上代文化ノ遺蹟ニ富ミ風光
典雅ニシテ樹木湧水ノ美ハ
克ク武蔵野ノ俤ヲ残セリ
 大正十四年田園都市ノ開
発ニ際シテ特ニ汐見台ノ地
ヲ公園ト為シ以テ舊景ヲ保
存セラレシカ昭和九年十月
所有者田園調布会ハ之ヲ本
市公園地トシテ寄附セラレ
爰ニ施設成リ開園ニ際シテ
其由来ヲ刻シ同会ノ芳志ヲ
後世ニ伝フ
昭和十一年四月
東京市

折角自分で解読を試みたので、成果は消さないで残しておこう。
もう少し調べてから記事を書けばよかったが、無駄な時間を過ごしてしまったとは思わないことにしよう。

 

公園の中に旗立台らしきものがあった。

昭和十一年四月建設
社團法人田園調布會寄贈

と刻まれている。

これも東京市時代のものと考えられる。

 

宝来公園の由来

本公園は、多摩川の沿岸旧荏原郡下沼部落の丘陵に位置し、附近は、亀甲山古墳を始めとする多くの遺跡に富んでいます。園内には、梅、桜をはじめ、クヌギ、シイなど、約70種1500本の樹木が繁り四季折々の自然の美しさは、今も、武蔵野の面影を残しています。
大正14年、田園調布の開発に際し、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布株式会社は、街の一角の汐見台の地を公園用の広場として残しました。その後、田園調布会に贈られ、昭和9年10月、当時の所有者、田園調布会より、東京市に寄付されました。東京市は、当時の金で一万円を投じて整備を行い、昭和11年4月「宝来公園」として開園されました。そして、昭和25年10月1日に大田区に移管され現在に至っています。
昭和61年2月 大田区

 

「田園調布株式会社」と書かれているが、「田園都市株式会社」が正しい。
訂正シールが貼られていたような形跡が残るが、はがれてしまってのだろう。