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旧町名「神田末広町」

今回は千代田区の旧町名「神田末広町」を紹介しよう。

 

発見場所 東京都千代田区外神田三丁目

 

①発見日 2021年2月13日

 

②発見日 2023年8月13日

①と②は同じ番地だ。あまり、同じ番地のものが見つかることはない。

以前から②の存在は知っていたのだが、近くに人がいたり、監視カメラのようなもの(センサー付きの照明?)が設置されているようだったので、中々近づくことができなかった。

 

千代田区町名由来板

 

以前設置されていた千代田区町名由来板

地下鉄出入口工事のためだろうか、木製の柱はなくなっていた。

工事は終わっているようなので、元の形に戻してほしい。

 

かつてこの界隈は、末広町と呼ばれていました。
江戸時代、現在の外神田三丁目一帯は、武家の屋敷地と商人・職人の居住地とが隣り合っていました。古い江戸の地図を見ると、町の南側にあたる場所には、神田平永町代地や柳原岩井町代地、麹町平河町一丁目代地、神田山本町代地といった町名が見受けられます。いずれも商人や職人が住んだ町(町屋)で、主に日用品が商われていたと伝わっています。反対に、町の北側は、越後(現在の新潟県)村松藩堀家の藩主が住む上屋敷をはじめ、十数軒の武家の屋敷が集まっていました。
ところが、徳川氏の支配が終わりを告げたまさにそのとき、この界隈は激しい戦火にさらされました。明治元年(1868)、江戸無血開城を不服として上野寛永寺に立てこもった旧幕府軍と新政府軍とが戦った上野戦争がそれです。この市街戦は、現在の外神田三丁目に集結した新政府軍からの攻撃によって始まりました。そして、わずか半日ほどで新政府軍の勝利に終わったのです。
末広町が誕生したのは、上野戦争の翌年、明治二年(1869)のことです。とくに神田界隈では、戦闘に巻き込まれ家族や屋敷を失った町民も少なくありませんでした。末広というおめでたい名前には、「これからは、末広がりで町が平和に繁栄しますように」という、町民の切実な祈りが込められていたのかもしれません。


歴史

1964年(昭和39年)
住居表示実施により、外神田3丁目となり町名は消滅。

 

末広町駅

 

末広町地域安全センター