最近越谷市を探索しているのだが、中々紹介できるような旧町名が見つからない。
撮った写真を調べていたところ、随分前に発見したものがあったので、今回はそれを紹介することにしよう。
発見日 2020年9月10日
発見場所 埼玉県越谷市宮本町二丁目
ここからは撮影日2023年11月7、9日
四丁野通り
"四丁野通り"は市制30周年⦅1988年(昭和63年)11月3日⦆記念事業にて設定された道路愛称らしい。
歴史
1966年(昭和41年)9月1日
大字四丁野、大字神明下、大字越ケ谷の各一部から宮本町一丁目〜五丁目が成立。
川沿いのマンションの植え込みの中に"由緒"と書かれているプレートを発見した。
由緒
上古、この辺りは万葉集に歌われているよ うに海が深く入し、その痕跡として地下に 貝殻層が広がっている。
明暦三年(西暦一六五七年)の振袖火事により江戸城本丸や市街の大部分が焼失、その再建の為御殿町にあった越ヶ谷御殿が解体移築されるまで、家康や秀忠が視察を兼ねて鷹狩りに越ヶ谷郷を度々訪れていた。
昔、元荒川は荒川の本流で多くの交通は川を中心に発展した。此所は旧越ヶ谷町と四丁野村の堺で、江戸との運搬に元荒川を利用、前の堤に石積みの河岸や河船・筏があった。
澄み切った青い空の向こうには冠雪した富士山・日光連山・筑波嶺がどこからでも見渡せ、清澄な水を湛える河川には藻や水草が繁茂、鰻・鯰・海老・蜆等が沢山生息し、住時を偲ぶに余り有る風情であった。
江戸後期、此処に三連蔵や文庫・庭園のある大きな屋敷を構えたが、時の流れにより文庫の一部は久伊豆神社境内に遷された。
尚、堤で春を告げる千二百本(当初)の桜は、昭和三十一年当屋敷から移植寄贈したも のである。
旧屋敷への逗留御芳名
民情視察や越ヶ谷近傍及び江戸川筋御猟場での鶴の御鷹狩り等の際に滞在された方々である。
第十五代将軍・公爵 德川慶喜公
明治三十三年六月五日御宿泊二日
宮内省主猟局長御供
閑院宮載仁親王殿下
明治三十三年十一月九日 御宿泊
王世子殿下
大正六年十一月二日 御宿泊
朝香宮鳩彦王殿下
大正八年十一月五日 御宿泊
賀陽宮邦壽王殿下
昭和十九年八月二日 御少憩
平成十八年三月吉日 建立 大野光政
この説明板に書かれていることを調べていたら、いくつか興味深いことあった。しかし、本題からはずれるので、別な記事を書いてみたいと思う。
と書いたけれど、いつものことだが、いつになるかわからないし、忘れてしまう可能性が大である。