歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

礫川公園と小石川後楽園にあった石積

2024年5月4、6日、この付近を探索する。



文京シビックセンター向かいの公園の前を歩いていると、石積があった。

初めて歩いた道ではないが、今まで気が付かなかった。

どちらかというと下の写真のプレートに反応して石積に気が付いたというべきか。



プレートが設置されていたのたのだが、光っていて、現地ではほとんど読めなかった。

この石積について書いてある記事が見つからなかったので、写真を拡大しながら解読することにした。

大名藩邸跡から出土した石の由来

この間知石積に使用されている石は、江戸時代に石垣などの構築に使われていたもので、文京シビックセンターの建設工事に先立つ発掘調査によって出土したものの一部を石積に用いて、設置・保存しています。

平成9年12月

文京区役所 土木部公園緑地課

      生涯学習部社会教育課

この公園は「礫川(れきせん)公園」という名称だった。

礫川の名称の由来は、昔、千川、江戸川及び周囲の高台から流れ出た細流が現在の後楽園付近で合流していたことによる。これらの川は砂や小石が多いことから、この付近一帯を小石川村と呼ぶようになった。礫川の礫とは、小石(礫/れき・つぶて)が多い川「小石川」に由来している。

葛飾北斎の『富嶽三十六景』には「礫川雪ノ旦」と題した浮世絵がある。「礫川雪ノ旦」は「こいしかわゆきのあした」と読む。礫川は小石川のこと。

小石川後楽園

2024年5月4日はみどりの日で入園料が無料だった。

入園する前に、説明板を発見した。

江戸城外堀石垣を再利用した石積

小石川後楽園西側築地塀の石垣の一部は、江戸城鍛冶橋門北側外堀跡(千代田区丸の内一丁目) から出土した石垣の石材を使い、本園のつくられた江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込み接ぎ」と呼ばれる石積の技法にて再現しました。(右上図参照)

石材には、備中(岡山県)成羽藩主山崎家の山をはじめ、 石垣を築いた大名を表す「刻印」 や石割の際の 「矢穴」 が残っています。

※注 この石垣は築地塀沿いに90mほど進むとご覧になれます。

石垣基部、歩道縁石に設置されたプレートが目印です。

これ



5月4日は先を急いでいたので、園内を見学しただけで、石積は、5月6日に再訪し、確認した。

築地塀を進む。



来た方を見る。

ここに来るまでにも刻印がある石があり、写真を撮ったが、どれだかわからなくなってしまった。

歩道を見るとプレートがあった。

ここから始まるのか。

成羽藩の山の刻印は見つけられるかな?

すぐ見つかった、他藩のもあった。



刻印をアップ

こんなにたくさんあるなんて、予想外。

いくつあるのか数えてみたかったが、やめた。

たぶんこれ(左端)が最後の刻印。

反対側の歩道から。

歩道のさつき


石積の終わり

2024年5月11日、端からすべての石積を撮ろうと思って撮っていたのだが、途中から日向になり、自分の影が映ってしまう。道路に出れば撮れるのだが、危ないので、日向の所は断念した。

曇りの時、近くに寄ることがあったら、チャレンジしてみよう。

斜めから撮ればよかったかも、と後から気が付く。