今回、新たに発見したものがあるので、以前発見したものと合わせて紹介することにしよう。
①台東区浅草象潟町三丁目
発見日 2021年4月5日
発見場所 東京都台東区浅草五丁目
この表札は2015年6月13日放送に放送された「タモリ倶楽部 ~旧地名ハンター・ツアー浅草編」で紹介されたことがあるそうだ。
②台東区浅草象潟一丁目
次に紹介するのは初めて見るタイプの住所プレート。(この時は初めてだったが、後で同じタイプの住所プレートを発見することになる。)
発見日 2024年6月15日
発見場所 東京都台東区浅草三丁目
琺瑯製ではないようだ。
「台東區」はマジックで書いたような感じで、「合東區」に見える。
「浅」の字の旧字体は「淺」だが、少しアレンジされている。
(淺草局區内)とあるが、郵便局のことだろうか?
旧町名由来案内
延宝五年(1677)の頃、この地に秋田の本庄藩主六郷邸が造られた。この六郷氏の領国にある鳥海山西麓の海岸には名勝の地象潟があり、この地名をとって、明治五年に浅草象潟町は名付けられた。象潟は風光明媚で、仙台の松島とならび称されるほどであったが、文久元年(1861)の地震で土地が隆起し、現在では田圃となっている。
昭和九年、浅草象潟一、二、三丁目の誕生にともない、浅草象潟町は東側の大部分が同二丁目に変わったことから、それまでの十分の一の広さになった。
町名を付ける場合、旧藩名を使う例は多いが、本町のように名勝地の名をとってつけられたのは珍しい。
旧町名区域図
①は「台東区浅草象潟町三丁目」となっているが、丁目が付いているので"町"がない「台東区浅草象潟三丁目」が正しいのではないかと思われる。
旧町名由来案内には「本庄藩」と書かれているが「本荘藩」が正しいのでは、と間違いを指摘したくなるが、
「はて?」
「庄」と「荘」は同じなのかもしれない。
調べてみよう。
初期荘園の史料はとくに「庄」という字を用いているものが多い。しかし「庄」や「荘」という字は「莊」の俗字・略字でまったく同義である。
とのこと。
なので、どちらでも間違いではないのだろうけれど、本家本元が「本荘藩」となっているので、合わせた方がいいと思うのだが、あくまでも個人的な素人意見。
本荘藩の旧領には一八九六年、秋田県象潟町ができ、一九九三年に三町会を含む浅草馬道地区町会連合会と姉妹地になった。二〇〇五年に象潟町が合併で「にかほ市」となった後も、関係は続いている。
浅草象潟会館
2007年4月22日に落成したそうだ。
下に「旧町名 浅草象潟町 明治五年誕生 江戸時代 本荘藩主 六郷正観政鑑 下屋敷跡」と書かれている。
浅草三丁目 象一町会
撮影日 2024年6月22日
浅草象三会館
神社に奉納されていた提灯