「ザ!鉄腕!DASH!!」のDASH島乗っかり企画として、NTT技術史料館に訪問して、下記の記事を書いた。
2024年6月16日(日)に放送された「ザ!鉄腕!DASH!!」~ 激闘111日DASH島に電話完成700m先と通話なるか ~
の番組の内容の一部は、
ロープウエーの終着駅から舟屋までの全長700メートルをつなぐ「DASH島 電話計画」もいよいよクライマックス。その完成を目前に控え、国分太一(TOKIO)は、屋根のない終着駅でも雨風をしのげる電話ボックスを製作。島でかき集めた材料で、使い勝手と見晴らし抜群の電話ボックスを作り上げた。
だった。
メインの話は電話ボックスではないのだけれども、当ブログのメインは乗っかり企画なので電話ボックスになった。
京橋に置かれた日本初の街頭公衆電話ボックスの写真
展示されている公衆電話ボックスのレプリカ
日本の公衆電話ボックスは、1900年(明治33年) 東京の京橋のたもとに置かれたのが最初でした。六角形の白塗りで、「自働電話」と呼ばれていました。ボックスの色 は、のちに赤色などに変わりましたが、昭和の初めまで使用されました。
明治33年9月、それまで電信局・電話局内の電話所だけにしかなかった公衆電話が、初
めて街頭に進出した。まず、上野・新橋の両駅構内の2カ所に設けられ、翌10月には、最初の屋外用公衆電話ボックスが京橋のたもとに建てられた。以後、その数は次第に増え、明治末には全国で463台を数えた。当時、「自働電話」と呼ばれていたが、これはアメリカの街頭電話に表示されていた「オートマティックテレホン」をそのまま直訳したといわれている。
大正14年、自動式の導入を機会に現在の「公衆電話」に改められた。
磁石式公衆電話機
特徴
5銭、10銭と2つの硬貨投入口があり、料金が落下する途中、5銭はゴング(チーンという
音)、10銭はらせん状の鐘(ボーンという音)を鳴らし、料金投入を交換取扱者に知らせた。
1通話時の市内通話料(15銭)を2年後に5銭に下げたところ、利用者が増え、普及したそうだ。
公衆電話ボックスの登場
上野・新橋両駅構内への公衆電話設置に続いて、1900(明治33)年10月、公衆電話ボックス第1号が登場した。京橋の際に建てられたもので、電話使用はもちろん、雨やどり用としても重宝がられたという。当時は〈自働電話〉と称した。
電話の方は、城島リーダーが蓄電器と電話を改良した結果、2回目の通話実験でランボーの言葉がはっきり届き、全123日をかけたDASH島の電話が、ついに開通した。
全然関係ないが、記事を書きながら、確認したいことがあったので、NTT技術史料館のホームページを開こうとすると「接続がプライベートではありません」となる。
以前は開けたのに、何か問題が起きているのかな?
2024年6月23日再確認したところ、開けるようになっていた。