歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「浦安町欠真間飛地字池の割」

今日はどこを探索しようかなと東京都江戸川区付近の地図を見ていたら、地図に浦安市の一部が載っていた。東京ディズニーリゾートには行ったことはあるが、今まで探索したことはなかった。地図で見ると江戸川区のすぐ隣、市川市の下だった。両方共探索したことがあるし、思ったほどに遠くないし、探索してみることにした。

浦安市、そういえば、以前勤めていた会社で浦安市に住んでいる人がいて、地震の時、液状化で大変だったと言っていたことを電車の中で思い出した。どの辺だったのだろう?

浦安駅を降りる。

どこから探索を開始するかも決めていなく、まず駅前からテキトーに探索を開始するが、駅から近いところだからかアパートやマンションが多く、戸建てがあまりない。

それでも数分探索をしていると浦安町時代のものを発見した。しかし、すぐ前には、配達の車が止まっており、更に、近くにも車が止まっていて、中に人がいた。
怪しまれそう。
他を探索してから、再訪することにした。

あれ?

いつの間にか市川市になっていた。

浦安市に戻る。

今度は工場地帯に来てしまった。

住宅がない。

そろそろさっきの所へ戻ろう。

途中でまた、浦安町時代のものを発見。

ここまでのくだりいるかなと思いつつ、自分の思うままに、感じるままに書き進める。

さっきの所へ戻ると、誰もいなくなっており、無事、撮ることができた。

しかし、最初に紹介するものは、この後に発見したもの。

こちらの方がインパクトがあるかなと思ったので。

知らんけどどす、だす。

発見日  2024年7月6日

発見場所 千葉県浦安市当代島

最初に紹介するものは、字名がないもの。





ここで「欠真間(かけまま)」の歴史と地名の由来を調べてみよう。

歴史
古くは、市川市南部の行徳地域の広範囲、浦安市北部、対岸である江戸川区の一部を指す名称であったが、「昭和の住居表示変更」によって「欠真間」という地名は現在の市川市欠真間1-2丁目のみとなった。

1981年(昭和56年)10月1日

住居表示実施により、大字猫実字大宮前・字元割・字郷蔵尻、大字欠真間飛地字地蔵廻・字堂屋敷・字下ノ割・字池ノ割、大字当代島字新田通・字中ノ割・字上ノ割・字北境・字地蔵通・字代官割の各一部から当代島一丁目、大字欠真間飛地字当代、大字当代島字南側・字大川端・字南萱畑の各全部と大字欠真間飛地字地蔵廻・字池ノ割、大字当代島字新田通・字上ノ割・字北境・字地蔵通の各一部から当代島二丁目、大字当代島字立脇・字北萱畑、大字新井飛地字堤外通の各全部と大字当代島字地蔵通・字北境の各一部から当代島三丁目がそれぞれ成立する。

地名の由来
土地の崩壊している状態を表す「ママ」が欠けてできた土地という説、戦国時代に国府台を中心に数度の戦乱により移り住んだ真間周辺の住民が、本村の真間から分かれたという意味で「欠真間」と名付けた説がある。

さあ、お勉強が済んだ所で、次に紹介するのは今回の目玉。

撮影秘話:正面の道路からだと離れすぎていて、スマホだと厳しい。後ろの公園には、昼休みなのか職人がたばこを吸いながら会話しているので、長居はできない。幸いなことに横に道があり、そこから狙う。日傘を自分の後ろに差して、職人から何をしているのかわからないようにする。前から人は来ない。チャンス。しかし、葉っぱが風で揺れ動き、ちょうど住所の部分が見えなくなる時がある。少し粘って、見える時を見計って撮影する。

えっ、これが秘話になるのだって?

えっ、自分的にはそうなのだけれど。

浦安市になったのが、1981年なので、町時代のものと言ってもそれほど古いものではないかもしれないが、やはり町+字名があると萌える。

"欠真間飛地"という大字名もよい。

元々は欠真間村→東葛飾郡南行徳村→東葛飾郡南行徳町→市川市欠真間飛地だったようだ。