鎌倉町時代のマンホール蓋について、下記の記事で紹介したことがある。
そのマンホール蓋にある鎌倉町の町章「星月」の由来は鎌倉十井の一つの星月夜の井からと言われている。
星月夜は秋の季語で、星が月のように明るい夜をいうそうだが、鎌倉の枕言葉でもある。
制定されたのは1901年(明治34年)1月1日、立案者は鎌倉小学校の職員とのこと。
2024年5月24日、その由来地を訪ねた。
星月夜ノ井ハ一ニ星ノ井トモ云ウ鎌倉十井ノ一ナリ
坂ノ下ニ属ス往時此附近ノ地老樹蓊鬱トシテ昼尚暗
シ故ニ称シテ星月谷ト曰フ後転ジテ星月夜トナル井
名蓋シ此ニ基ク里老言ウ古昔此井中昼モ星ノ影見ユ
故ニ此名アリ近傍ノ婢女誤ツテ菜刀ヲ落セシヨリ以
来星影復タ見エザルニ至ルト此説最モ里人ノ為メニ
信ゼラルルガ如シ慶長五年六月徳川家康京師ヨリノ
帰途鎌倉ニ過リ特ニ此井ヲ見タルコトアリ以テ其名
世ニ著ハルルヲ知ルベシ水質清冽最モ口ニ可ナリ
昭和二年三月建 鎌倉町青年団
星の井
この井戸は、鎌倉十井の一つで、星月夜の井、星月の井とも呼ばれています。
昔、この井戸の中に昼間も星の影が見えたことから、この名がついたといわれています。
奈良時代の名僧・行基は、井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、
お堂を建てて虚空蔵菩薩をまつったという伝説もあります。
井戸の水は清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人の飲料水として売られていたそうです。
平成11年12月 社団法人鎌倉青年会議所
星の井通り
星月のマークは鎌倉国宝館や巨福呂坂洞門などで見ることができる。
鎌倉国宝館
まだ入館したことはない。
今回も入口付近をウロウロしていただけだ。
入口のステンドグラスの模様
鎌倉国宝館のホームページには、「鎌倉を詠んだ平安時代の和歌に登場する星月のマークがかたどられたヨーロッパのステンドグラス(小川三知作)がはめ込まれ」と書かれており、鎌倉町の町章という説明はない。
だが、鎌倉市歴史的風致形成建造物管理台帳の指定理由には「入り口の窓には旧鎌倉町の町章であった星月マークのステンドグラスがはめ込まれた」と書かれている。
旧鎌倉町の町章であった星月マークで統一すればいいと思うのだが・・・。
巨福呂坂洞門(こぶくろざかどうもん)~アーチ状の落石防止施設を伴う現代の切通し ~
撮影日 2024年4月25日、5月23日
この落石防護施設は、鎌倉七切通しの一つである国指定史跡「巨福呂坂」の近くにあることにちなんで巨福呂坂洞門と名付けられました。
切通しを歩いている実感が損なわれないようアーチ状の梁、大きな六角形の天井開口部、石積み壁などの工夫をしました。
平成五年六月竣工 神奈川県
円筒形の照明に星月のマークがある。
上の方にあるので、知らないと気が付かないやつ。
鎌倉第一小学校の校章も「星月」だそうだ。
鎌倉第一小学校だよりの名称「ほしづき」
教育目標「自ら光る星になれ つよくやさしい月になれ」