今日(2024年7月16日)は、所用で月一回代官山へ出かける日。
赤羽で降りるつもりが、寝過ごし、王子で起き、赤羽まで戻る。
赤羽で埼京線に乗るつもりでいたが、2本続けて新宿止まり。掲示板を見るとちょうど湘南新宿ラインが5分遅れになっていた。
ラッキー!
と思ったのもつかの間。
更に遅れるということと新宿までの折返し運転になるとの放送あり。
仕方ない。
埼京線で新宿まで行き、山手線に乗り換え、恵比寿まで。
恵比寿駅を出たところで雨。
いつも傘を持ってきているのだが、ついていないことが重なる。
この日に限って忘れてしまった。
結構降ってきたが、コンビニもない。(セ○○イ○○○は無視。)
濡れながら向かう。
所用先で傘を差してこないことに気が付いてくれて、返さなくていいと傘を渡してくれた。
所用が済んだら、コンビニで傘を買い、探索を開始する予定だったので、助かった。
所用が済み、外に出ると雨は小降りになり、しばらくすると止んだ。
折角の傘だが、邪魔だなあと思いながら、探索していると、また結構降り出してきた。
傘があってよかった!
家を出るときこの雨だったら、流石に探索をあきらめるのだが、探索途中での雨の時は、余程の土砂降りでなければ、継続だ。
途中雨宿りをしながら場所を確認する。
既に靴の中がぐしゃぐしゃだ。
それでも、もうどうでもいいや的に、探索を継続する。
目的のものは無事発見することができた。
そんなこんなをしているうちに、だんだん、余程の雨の具合になって来た。
少し早かったが、探索を切り上げ、三軒茶屋から帰る。
そんな悪天候の中で発見したものと以前発見していた旧町名の痕跡達を発見日順に紹介することにしよう。
①世田谷区三宿町127
発見日 2021年4月12日

②世田谷区三宿町78番地
発見日 2021年6月3日
発見日 2024年7月16日

以前、目撃情報を頼りに探したことがあるのだが、見つからなかった。
理由は、地図に貼った付箋の場所が違っていたからだ。
全然違う場所に貼ってあり、そこにあるはずがなかった。
今回、再探索にあたり、調べ直したところ、場所を特定できた。
次が今回の目玉。
かなり前から目撃情報があったようなのだが、それには気が付かず、最近の目撃情報で、この存在を知った。
「この先は行き止まり」と書かれた先にあった。
④世田谷區三宿町九三番地
発見日 2024年7月16日

登録有形文化財になっている萩原邸にあった。


所在地
世田谷区三宿一丁目十五番二号
登録年月日
平成十二年二月十五日
登録番号
一三-〇〇七五
登録基準
登録有形文化財登録基準の二「造形の規範となっているもの」
構造及形式
木造二階建、建築面積九八平方メートル
建築年代
大正十三年
この住宅は大正から昭和初期に活躍した、日本を代表する建築家である遠藤 新(一八八九~一九五一)によって設計された。遠藤は建築家F・L・ライトに師事、帝国ホテルの設計に携わったほか、ライトとの共同設計で目白の自由学園明日館、芦屋市の旧山邑家住宅(いずれも重要文化財)などを手掛けた。
萩原家住宅は木造二階建で、二階部分は昭和九年頃の増築である。当初はこの二階部分が露台となっていた。外観は水平を強調し、外部に対して圧迫感を与えない意匠としている。平面構成は遠藤の提言する一文字型に、書斎を繋げたT字型をしている。各部屋は廊下を介さず連続して配置される。繋がれた書斎に至る廊下もまた、玄関ホールとしての役割を兼ねる。このような平面構成は遠藤の住宅に多くみられ、独特の空間構成といえる。この住宅では一文字に配された各部屋上部を一間幅の一段高くした天井とし、通風に配慮しているのが特徴である。
平成三年には復元補修工事が行われ、戦後改造された部分を撤去し、旧状に復した。また、書斎の遠藤設計による本棚や家具類も当時のままの姿で保存されており貴重である。
平成十二年九月
世田谷区教育委員会
地名の由来
この近辺には、幕末の頃まで「蛇池」とも「龍池」とも呼ばれていた池があり、水の宿る地ということで「水宿」とついたものから転じて「三宿」となったものといわれる。
歴史
1889年(明治22年)
東京府荏原郡世田ヶ谷村大字三宿となる。
1923年(大正12年)
東京府荏原郡世田谷町大字三宿となる。
1965年(昭和40年)
住居表示実施により三宿町、池尻町、太子堂町の各一部から三宿一丁目、三宿町、池尻町、太子堂町、下代田町の各一部から三宿二丁目が新設される。
