2024年7月23日、探索中に通りかかった「押切いこいの家」に気になるものがあった。
"叙述碑"というものだった。
"叙述碑"と書かれているものは初めて見たかもしれない。
何が書かれているんだ?
このような石碑には文字が小さく古い字で書かれていることが多いが、この碑は読めない字はほとんどない。
明治九年丙子五月地租改正時(筆限)
千葉県第拾壱大區十九小區
下總國東葛飾郡押切村
第百十一番 字村下
一.木 立 四畝0歩 地主 及川太郎左衛門 他八拾人
第百十弐番 字村下
一.斃馬葬場 廿五步 地主 右仝人
昭和四拾九年拾式月二日土地區画
整理事業施行後
押切村下
一.山 林 参百九拾六平方米 地主 村中持
字会所
一.雑種地 八拾弐平方米 村中持
乙卯歲如月吉日
以上
「乙卯」は何年だろう?
1974年(昭和49年)だった。
上に書いてあったね。
裏面
平成壬申歲二月吉日
自治会長 新井豊一
市川市押切十 四百七拾八平方米
雜種地 地主
「平成壬申歲」とある。
平成何年のことだ?
壬申は平成4年、1992年だった。
表札
「押切(おしきり)」は江戸川がこの地を押し切って流れを変えた所、また対岸の村人達が隣村の妨害を押し切って開拓し移住した土地ともいわれている。