歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

草加駅前一番通りのたぬきと札場河岸公園の河童

草加駅前一番通りを歩いているとスピーカーから商店街の紹介が聞こえた。

その中にたぬきのモニュメントがあるというセンテンスを聞き逃さなかった。

以前も歩いたことがある道だが、そういうものがあるとは知らなかった。

どこにあるのだろう?

モニュメント、オブジェ的なもの、特に生き物のものがあると、撮らずにはいられなくなる習性がある。

駅前まで戻り探し始める。

少しして、想像していたところと違うところにあったが、無事発見することができた。

途中、その後、他のたぬきたちにも出会うことができたので、合わせて紹介することにしよう。

発見日 2024年4月29日



ふれあい小路にいた。



これがモニュメントだった。

片目をつぶって🍘を食べている親子。

草加市草加煎餅で有名だからだろう。

小路にあった桜の葉でほとんど見えなくなっている草加宿エリア案内


草加宿ができたのは江戸時代はじめの寛永七年(1630) でした。草加の街の様子は地域開発や道路整備により変わりましたが、少し路地にはいると日光街道の歴史を刻んだ情景に出会います。
草加駅から松原団地駅にかけては、草加宿の昔懐かしい風情が色濃く残っています。旧日光街道草加松原綾瀬川の河岸跡、そして全国にその名を知られた草加せんべい発祥の地等々、見所にあふれています。

古い建物がほとんどない旧日光街道、見所にあふれているは言い過ぎだと思う(個人的意見)が、草加松原は松林が続いており、古い松もあって結構いいかも。途中にある橋もいいね。


タヌキと足跡のタイル絵

このたぬきも煎餅が好きなようだ。

ここからはたぬきではないが、通りににあった気になったもの。

今様草加宿

草加宿はその昔、慶長11年(1606)江戸幕府の命を受けた大川図書(おおかわずしょ)が中心となり、それまで大きく東に迂回していた日光街道の千住・越ケ谷間を一直線で結ぶ草加新道を築いた。その後寛永7年(1630)千住・越ケ谷の間の宿として草加宿を設けたことに始まった。「今様」とは「今風の、現在視点での」という意味があり、スローライフの視点が盛り込まれている。

住吉とやま公園

かつてこのあたりは、草加宿を開宿したといわれている大川家の屋敷(現草加小学校の敷地の一部)の外にあった耕地を囲む林で「とやま」と言われていました
当時の呼び名を残しこの公園を「住吉とやま公園」と名付けました

飛び出し坊や


デザインマンホール蓋 大小

草加市のシンボル「百代橋」と市の木でもある松並木の「松」がデザインされている。

タイル絵



札場河岸公園



ここにはたぬきではなく河童がいた。

河童の碑

『河童の碑』の由来

むかし、伝右川に河童が住んでいました。
「・・・この子は河童だ」
「ころんで、頭をぶつけて、皿がとれたっていうわけか」
「そうだよ。皿は、河童のいのちなんだ。皿をさがしてやろう」
「うま、うま」・・・   原直子作 童話『皿をなくした河童』より

『解説』河童は日本の伝説上の動物で、人々を見守る水神であると云われている。甚左衛門船着場が開設され、人々の水辺の安全を祈願するために建立されました。(獅子頭) 2020.8.2

絵と文章があっていない。

おぼれて、助けを求めている河童のように見える。

この河童の名前は「小太郎」というそうだ。

どこかで見たような絵になっているなと思っていたら、国土交通省の水辺の注意書看板を基にして統一性を持たせたということのようだ。
納得。