高崎市中心地は江戸時代からある地名が多く残っており、今回紹介するものは現存している町名だが、他の都市と同様古い建物が少なくなってきているので、電力プレートの存在は貴重だ。
①クゾウ-1
発見日 2024年8月26日
地名の由来
享保10年の大火で諸記録を焼失したため、詳細は定かではないが、慶長6年北爪九蔵が居を定め、のちに人家が増えていき、領主から名主を命じられたことに由来すると考えられている。
②ユミ-4
発見日 2024年8月26日
地名の由来
江戸時代には藩の弓組の屋敷が置かれていたので「弓組」の名がつけられた。『高崎志』によると、古くは羅漢町に接していたことから「上羅漢町」と呼ばれていたと記されている。
③アイオイ-2
発見日 2024年8月27日
地名の由来
江戸時代のこのあたりは、赤坂村の耕地になっていたが、宝暦六年(一七五六)、赤坂村の小泉某が藩に願い出て貸家をつくり、町とし、九年に藩主大河内輝高(てるたか)が「相生町」と命名したと伝えている。町名のいわれは、城内にあった二本の松にちなむという。