歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「船橋市小栗原」の痕跡を探していたら、隠れラスボス「千葉縣船𫞏市小栗原」に遭遇する。

船橋市立小栗原小学校。



この小学校の校門付近に「旧町名保存銘板 小栗原の地名」があった。

夏休み中なので、写真を撮るのも気が楽だ。

ここ「本中山」の地は、もと「小栗原町」といった。遠く平安時代の「下総国葛飾郡栗原郷」に由来する由緒ある地名だったが、時移り昭和四十二年及び四十九年の住居表示の実施によりその町名は消えた。改変の理由は、中山法華経寺門前町に由来する「中山」が広く一般に通用していると共に、中山の地は元来は船橋市域に存していたとの意見があって、「本中山」という町名になった。
小栗原村、又は栗原郷の名が歴史上、特に有名になったのは、江戸時代の始め、徳川家康の側近で、のち尾張犬山城主となった成瀬正成の治領となったことであろう。後に旗本領、代官領と転じて幕末に至った。明治に入ると葛飾県、印旛県を経、六年千葉県の管轄下になり、二十二年市制町村制の施行に伴い「葛飾村」が成立、小栗原はその大字名となった。昭和十二年四月船橋市誕生に加わり、十五年一月より船橋市小栗原町一丁目から六丁目までの町名が続いていた。

昭和六十二年十一月

船橋市役所

旧小栗原町区域図

小栗原町の変遷
明治22年4月1日 町村制施行  東葛飾郡葛飾村小栗原

昭和 6年1月1日  町制施行   東葛飾郡葛飾町小栗原

昭和12年4月1日 船橋市制施行 船橋市小栗原

昭和15年1月1日 町名設定   船橋市小栗原町1丁目~6丁目

昭和42年6月1日 住居表示実施(第1期第3次)
   旧町名 小栗原町1・2丁目 新町名 本中山1・2丁目
       小栗原町3丁目        本中山1・2丁目
                    東中山1丁目
       小栗原町4丁目        本中山3丁目
       小栗原町5丁目        本中山2・3丁目

昭和49年2月1日 住居表示実施 (第2期第5次)
   旧町名 小栗原町4・5丁目 新町名 本中山4丁目
       小栗原町   6丁目     本中山4~7丁目

さあ、「小栗原」が付くものを探しに行くことにしよう。

でも、暑いんだよなあ。

小栗原橋


小栗原歩道橋



小栗原住宅



小栗原中央公園

小栗原東公園

小栗原西公園

小栗原北公園

小栗原蓮池公園


小栗原南公園はなかったが、小栗原が付く公園は5つもあった。

小栗原神興倉



小栗原稲荷神社


随分探したのだが、肝心の旧町名の表札が見つからない。

千葉街道を歩いていると廃業していると思われるたばこ売場の裏に赤い琺瑯看板が見えた。

発見日 2024年8月6日



左端に書かれている住所をどうしても見たいのだけれど。

どうする?

動くのか?

元は商店だったと思われるこの建物の前面は木の雨戸で閉じられていた。

そっと下を動かしてみた。

動いた!

煙草小賣所ご開帳!

"県"と"橋"は旧字体の"縣"と"𫞏"(変換ボタンを押しても出てこないので、文字コード"2b78f"を入れてF5を押す。)になっている。

昭和12年4月1日、船橋市制施行して「船橋市小栗原」となり、昭和15年1月1日、町名設定して「船橋市小栗原町1丁目~6丁目」となった。

ということは、昭和12年から昭和15年の約3年間だけ存在した貴重な短命の旧町名となる。

2024年9月13日放送のNHKおはよう日本」の番組の中で「地図を持って街歩き 歴史の痕跡をたどる」というテーマで「地図ラーの会」というグループの活動を放送していた。見たのは番組の終り頃だったので、何についてのロケが行われていたのかはわからなかった。

ホームページがあったので、見てみると、地図ラーとは「地図が大好きな人」のことを言うらしい。書かれているジャンルは、河川大好き、分水嶺LOVE、等高線LOVE、スリバチ地形LOVE、暗渠マニア、鉄ちゃん、ロードマップ好きだった。

自分は、これに当てはまらない萌ポイントが多いが、紙の地図が手放せないので、地図ラーの仲間になるのかもしれない。