歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

札の辻橋の両側にある東京市電氣局のマンホール蓋

今更であるが、港区三田に東京市電氣局のマンホール蓋が存在しているとの情報を知り、探しに行くことにした。

しかし、情報が古いため、現地で確認するまで現存しているのかわからない。

ストビューで確認したので、大体の位置は分かっていた。

2024年9月16日、田町駅東口を三田警察署方面に向かって歩いていく。

あった!

横断歩道そばにあるのだが、交差点の中なので、信号が変わらないと近づけない。

撮るタイミングが難しい。

結構摩耗しているね。



紋章をアップで撮るも、摩耗しているからかうまく撮れない。

満足した写真は撮れなかったが、現存を確認できたので良しとすることにした。

辻の札橋の左側の歩道を上っていく。

途中に何かあるのに気が付いた。

右側を歩いていたら気が付かなかっただろう。

札の辻橋モニュメント

橋名板

札の辻橋は、昭和8年(1933)地域の交通を結ぶ橋として架けられましたが、平成16年(2004)に現在の橋に生まれ変わりました。

このモニュメントは当時の橋で使われた石や橋名板を再利用して造られたものです。

札の辻橋を渡り終え、札の辻交差点付近にあるマンホール蓋を探す。

歩道から見えたのだが、札の辻歩道橋の歩道周辺が工事中で近寄れない。

仕方ない、札の辻歩道橋の上から撮ることにした。

ちょうど車が止まる場所にあり、なかなか撮るタイミングが訪れない。

車がはけた時をねらって、ようやく撮れた。

こちらも現存を確認できた。

先に紹介した布田では確認が難しかったが、電氣局紋章を中心に、「市電燈 NO」と書かれている。

「市電燈」は「東京市電氣局電燈課」を指しているとのこと。

「NO」は番号を意味するような気がするが、蓋には数字が入ると思われるところが、埋められたまま。数字が入っているものは存在しているのだろうか?

歩道橋の上から東京タワー方面を撮る。

札の辻交差点



周辺図



芝地区旧町名由来板と札の辻の説明板

東海道 本芝札ノ辻

平成18年

大正10年

札の辻

江戸時代のはじめ、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたところから、札の辻と呼ぶようになりました。元和二年(1616)には、芝口門をここに建てて、江戸正面入口としての形式を整えました。この門は「日暮御門」といわれましたが、これはこの東がすぐ江戸湾に接し、海を隔てて房総の山々を望む、一日眺めても飽きない景色であったためといわれます。
 その後高札場は、天和三年(1683)に南方の高輪(後の大木戸の場所に移されました。また、宝永七年(1710)に、芝口門は新橋北側に建替えられ、ここは「元札の辻」と呼ぶようになりましたが、明治維新後はまた「元」を略して「札の辻」と呼んでいます。

昭和五十二年一月(平成十七年十二月建替) 

港区教育委員会