1879年(明治12年)1月11日 山下居留地に日本全国の地名などを冠した30か町が新設される。
阿波町・上田町・蝦夷町・越後町・大坂町・小田原町・尾張町・海岸通り・加賀町・角町・九州町・京町・神戸町・薩摩町・駿河町・長崎町・日本大通り・函館町・花園町・琵琶町・富士山町・二子町・豊後町・堀川町・本町通り・本村通り・前橋町・水町通り・武蔵町・武蔵横町
明治20年の地図

どの都道府県の町名から採ったのかわからないものもあるなあ。
1899年(明治32年)に居留地は撤廃となり、これらの町名は廃止されてしまったそうだ。
しかし、現在でもこの中のいくつかの痕跡が残っているらしい。
こういう情報を見つけると、探しに行かないわけにはいかなくなるのは必然だ。
もう誰にも止められない。
止める者など誰もいないが・・・。
好きにすればと言う感じだよね。
まずは当時のものと思われる痕跡から
旧英国七番館

1922年(大正7年)、イギリスの貿易会社であるバターフィールド&スワイヤ商会の横浜支社として建築された。
柱には№7の文字

旧横浜居留地四十八番館

1883年(明治16年)に建築された横浜で最初に建てられた洋風の建築物。
入口上部にある四十八番のキーストーン

ファンケルビルの入口の中にあるエムブレム・ストーン

№ 89. A Emblem Stone の由来

シイベルヘグナー・ビルディングへようこそ。
1859年(安政6年)横浜港が外国貿易に開港された頃、港の隣接地は外国人居留地として開発され、シイベルヘグナーの前身シイベル・ブレンワルド商会も居留者として指定されました。
このエムブレム・ストーンの表面には西暦1902年と区画番号№ 89. Aとが浮き彫りされています。この時点でシイベル・ブレンワルド商会を引き継いでいたシイベル・ウォルフ商会は、此の一画で貿易を営んでおりました。この石がどの建物に埋め込まれていたかは定かではありません。
1923年外国人居留地全体が関東大震災により完全に破壊され、此の石も大災害が残した巨大な瓦礫の山の下に埋もれてしまいました。
50年後の1973年、偶然にも向い側の一画の建築工事中に再び発見されました。現在此のエムブレム・ストーンは元の場所に戻ってまいりました。
日本を襲った数々の災害と横浜市による度重なる区画整理にもかかわらず、江戸時代以来の区画番号が変わらず残されているのは我が国では大変珍しいケースです。
横浜市中区山下町89-1
シイベルヘグナービルティング
次は店舗に書かれている居留地の番地
レストランかをり

居留地七拾番

ありあけ本館ハーバーズムーン本店

居留地183

続いては、いろいろな場所に残っている町名の痕跡達

加賀町
加賀町警察署





加賀町警察署の車止め

中華街仕様だね。
不准=禁止?
車馬駛入=車馬進入?
加賀町防犯協会

九州町通り

Googleマップには九州町通りと書かれている福建路


薩摩町
薩摩町中区役所前のバス停


薩摩町消防隊

中消防署のシャッター


日本大通り地下駐車場

日本大通消防出張所


花園
花園橋の親柱(現横浜市立港中学校校門)


花園橋換気所

花園橋駐車場

本町通
ローソン山下町本町通店

水町通り

水町通り入口
