Googleマップで横浜市を見ていたら、西洋人避病院碑のピンを見つけた。
避病院とは明治時代に造られた日本の伝染病専門病院のことらしい。
以前近くまで来たことがあるが気が付かなかった。
このような石碑の存在を知ると、呼ばれているように気がして、行きたくなるらしい。
激坂、激階段なんのそのだ。
石碑は平楽中学校の植え込みの中にあった。
撮影日 2024年10月7日、10日
撮影場所 神奈川県横浜市南区平楽1番地
正面
写真を撮った時には気が付かなかったが、下の方が剥がれかけている。
これはまずい状況だ。
いずれ見尻坂にある居留地境界石のように全部剥がれ落ちてしまう可能性がある。
右側面
植込みの中には他の石碑もあった。
開校三十週年記念 昭和十六年
昭和三年十一月十日 大禮記念
大禮記念樹
平楽中学校校門横にある謎の石柱
右側面
左側面
裏面
これは何なのだろう?
謎のまま、避病院のことを調べていると唐沢公園の中にも避病院の石碑があるらしいことがわかった。
それはGooglマップには載っていなかった。
折角すぐそばまで来ていたのに。
また行かなくてはならない。
平地ならいいのだけれど、激坂、激階段を征服してからでないと行けないところにありそうだ。
2024年10月10日再訪することにした。
唐沢公園
かつてここはサンタマリア幼稚園だったらしい。
どうして無くなったのかは、調べてみたがわからなかった。
遊具であそぶときのおやくそく
かわいいイラストだね。
今まで公園で見た中で一番かも。
遊具
幸いなことにまだ誰も遊んでいない。
気にしないで探すことが出来る。
探し物はこの大きな木の近くにあるらしい。
左側にある柵の外を見ると、草に埋もれた石碑が建っていた。
わかりにくい。
あった。
前にあった草を折ったり、手でちぎったりする。原状復帰できないが、また、伸びてくるだろう。
こちらは表面が欠け落ちていなかった。
地面付近に文字らしきものが見えるが、何と書かれているのかわからない。
かつてここには外国人のため、中国人を含まない西洋人のための避病院があったらしい。
調べ出すと時間がかかりそうなので、あったらしいというだけにとどめておこう。
平楽中学校にあった西洋人避病院碑は何らかの理由で移設されたのだろう。
唐沢公園から見える景色
当時はこんなビルはあるはずもないが、このような離れた場所に隔離されていたんだろうなということを感じる。
中学校前にあった赤塚。
赤塚由來
コノ地ハ昔時ヨリ塚アリ鎌倉時
代南区中区磯子区ヲ支配シ居タ
ル武将平子広長一族ノ塚ト言ヒ
伝ヘラレ実兄故恭太郎及八幡町
故田邊善太郎氏(隣地所有者)
モ赤塚ト称シ居タリ今般昔時ヲ
偲ビ碑ヲ建立シ供養ス
昭和五十四年六月
建立平楽 岩澤愛歲
工事担当 竹下石材店
昭和に建てられたものだから、読めば、内容は理解できる。
山羊坂
下りようとすると、「すみません。」と言って中学生が駆け下りていった。
この坂を駆け下りる自信はない。
途中で木製電柱を発見する。
大日本木材のプレート
数字の意味は何だっけな?
下の方に設置されていたプレート
30cm高までは読めるが、その先は何?
狸坂
下りようと思ったが先客が座り込んでいた。
仕方ないので、東坂から下りることにした。
この擁壁、めっちゃ好きやねん。
でも下っていくのは大変だった。
足腰鍛えられる~。