歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「横浜市神奈川区棉花町」

ここ1ヶ月くらい横浜市中区、西区、神奈川区を随分探索している。

往復の交通費もバカにならないんだよなあ。

でも、広いうえに見るべきところが多すぎて、まだ回り切れていない。

元々旧町名は探索のおまけくらいに考えているのだが、だいたい他の市区町村ではこれだけ探索していれば、複数の旧町名は発見できる。

住居表示されていないところをメインに探索していたからかもしれないが、旧町名が中々見つからない。

ようやく、神奈川区を探索していたところ、偶然旧町名に遭遇することが出来た。

おまけと思っているので、あると思って探索していない。

当然事前調査もできていない。

今回の獲物を家に帰って調べたところ、今昔マップに旧町名として載っていた。

あると思って探索して、収穫がないとショックもあるが、ないと思って探索していて、見つからなくても、そうだよねと納得できる。

上の文章を読み返すと、脈絡がないように思うが、どうせ文章なんてちゃんと読んでくれる人はいないだろうから、問題ないだろう。

思いついたことを書く。

赤ペン先生がいたら、真っ赤かもしれない。

発見日  2024年10月17日

発見場所 神奈川県神奈川区神奈川一丁目

歴史

1889年(明治22年)4月1日
神奈川宿を形成した神奈川町(旧)、青木町と芝生村が合併して橘樹郡神奈川町が成立。旧町村はそれぞれ神奈川町の大字となる。

1901年(明治34年)4月1日
橘樹郡神奈川町は横浜市編入

1927年(昭和2年)4月1日
区制施行により横浜市神奈川区神奈川町となる。

1932年(昭和7年)1月1日
神奈川通・栗田谷・六角橋町・浜町・棉花町・亀住町・浦島丘・立町・稲荷町・東神奈川町・御殿町・神明町・飯田町・二ツ谷町・西神奈川町・富家町・鳥越・白楽・平川町・二本榎・斎藤分町・中丸・星野町が新設され、神奈川町は廃止される。

1976年(昭和51年)1月18日
土地区画整理事業に伴い、飯田町・神奈川通・御殿町・東神奈川町・浜町の各一部から神奈川二丁目を新設。

1978年(昭和53年)2月5日
土地区画整理事業に伴い、浜町の一部と棉花町から神奈川一丁目を新設し、浜町と神奈川通の残部を神奈川二丁目に編入

この年、棉花町は消滅する。

棉花町の由来を調べてみたが、不明。なので、多分だが、この辺りに棉花倉庫が立ち並んでいたらしいからそれで付けられたのかもしれない。

「棉」と「綿」の違い
両方とも「めん」「わた」と読むが、その違いは植物であるか、原料であるか。 植物として栽培されているものは「棉」。 衣服などの原料として使うときは「綿」と書く。 その境目は「綿花を摘み取り、種を外した時から」とされている。

さあ、棉花町の痕跡を探しに行こう。

棉花親和会会館

棉花橋

昭和32年11月竣成とあるので、それほど古い橋ではない。

下の漢字の「橋」、変だ。上の「ノ」が抜けている。

上の橋名板は「ばし」、下は「はし」となっている。

電柱に「綿花町」と「星野」

綿花」ではなく「花」では?

星野町は現存している。

横浜コットンハーバー

棉花町の町名に由来しているらしい。



2024年11月11日修正

「棉」を「綿」と書いてあった所を訂正。
違いを追記。