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京急東神奈川駅の旧駅名「仲木戸駅」と旧町名「仲木戸」の痕跡を探す

自分の持っている地図では「仲木戸駅」になっていたが、あれ?「京急東神奈川駅」になっている。

いつからだ?

歴史

1905年(明治38年)12月24日
木戸駅(なかきどえき)として開業。当時は地上駅だった。

1910年(明治43年)8月
横浜鉄道(現JR横浜線)の貨物線(現在廃線)を敷く際に高架駅となった。

1915年(大正4年
仲木戸に改称。

1945年5月29日
横浜大空襲で駅舎とともに焼失。

1957年(昭和32年)7月
駅舎を地上部に復旧。

2020年(令和2年)3月14日
京急東神奈川駅に改称し、副駅名に旧駅名仲木戸が追加される。

改称にあたっては東日本旅客鉄道東神奈川駅と隣接していながら、駅名が異なることで乗り換え可能駅として旅客から十分に認知されていないことから、「京急」を冠した上で同駅名とし、乗り間違いを防ぎつつ利便性を高めたものとされている。

2020年と結構最近のことだった。

駅名の由来
旧駅名の「仲木戸」は、江戸時代この近辺に「神奈川御殿」と呼ばれていた将軍の宿泊施設があり、木の門を設けて警護していた。そのためこの一帯が「仲木戸」と呼ばれていたことに由来している。

2024年10月22日「仲木駅駅」と旧町名「仲木駅」の痕跡が残っていないか、駅周辺を探してみることにした。

ペデストリアンデッキの上



地上

シール対応できそうだが、まだいくつか残っていた。

仲木戸架道橋



仲木戸公園



擁壁も歴史がありそうだ。

上の方は工事中?

2024年10月25日、当初予定していなかったが、近くを通ることになったので、見落としがないか、念のため、探索してみることにした。

何と大物を見落としていた。

それがこの説明板。

先日目の前を通ったはずなのに、なぜか気が付かなかった。

老化現象か?

京急電鉄 駅歴史

京急東神奈川駅仲木戸駅

仲木戸駅の由来
1905(明治38)年12月24日、京浜電鉄(現 京急電鉄) 品川(現 北品川)-神奈川間の全通にともない誕生した。かつての駅名の「仲木戸」は開業当時の付近の地名にちなむものである(ただし、開業の直後は「中木戸」という駅名の表記も混在している)。
仲木戸」という地名は、江戸時代の初期、東海道神奈川宿に、将軍が上洛する際などの宿泊・休憩施設として御殿が造営され、御殿への人々の往来を管理するために設けられた木戸に由来すると考えられる。木戸の付近には 「仲木戸横道」や「仲木戸横町」と呼ばれる道や町が存在した。御殿は江戸 時代のうちに廃止され木戸も消滅したが、「御殿」とともに「仲木戸」という地名が残り、明治時代には横浜市神奈川町の字の一つになっていたのである。

京急電鉄最初の高架駅
1908(明治41)年、横浜鉄道(現 JR横浜線)が八王子から東神奈川まで開通し、やがて東神奈川から沿岸部まで貨物線を敷設することになった。ただし、その途中で先に開通していた京浜電鉄の線路と交差する。鉄道と鉄道が交差する場合は、後発の鉄道側が回避措置をとるのだが、軌道(路面電車)と鉄道の場合は軌道側が回避措置をとることが義務付けられていた。京浜電鉄は当時軌道だったため、当駅付近の線路を高架化することになり、下に横浜鉄道の貨物線を通した。現在では京急電鉄の多くの駅や線路が高架化されているが、これが初めての高架工事であり、当駅は京急電鉄で最初の高架駅である。

駅の歴史



下の図は京浜電鉄が建設される以前に発行された民間の地図に、その線路と駅の位置を 加筆(白色の線と円)。当時の字名だった 「新町」「仲木戸」「反町」が順に駅名に採用された(東海道本線のルートは現在と若干異なっている。また、JR東神奈川駅JR横浜線は未開業)。

明治時代の地図

現在の地図



新たな痕跡を電話ボックスで発見



次のは修正されていたもの



高架下のレンガ壁

これも明治時代に造られたものだろうか?