歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

港区の湧水地をたどる = 宮村池 → がま池 → 麻布山善福寺の柳の井戸

宮村池

元麻布の坂を下っていくと小ぶりの欄干があった。

草木に覆われているが、下を見ると水が流れている。

坂下に欄干が飛び飛びで続いている。

辿ることはできないが、坂下の道を上流方面に向かって歩いていく。

曲がり角にあった円柱形の何か。

この辺りはいつも警察官が立っているので、何もしていないが、気になってしまう。

先へ進もう。

住宅の間に目をやると「元麻布三丁目緑地」があった。

所在地 東京都港区元麻布3-6-19

上の方には六本木ヒルズが見える。

入口付近に説明板があった。

この場所は、港区が自然回復事業として整備した「生き物の生活空間」(ビオトープ)です。日本の野草が植えてあり、池には自然のメダカが放してあります。この場所に生き物や植物を持ち込まないようお願いいたします。貴重な自然観察の場として、大切に利用してください。

宮村池

柳の木が風に揺れていた。

顔に当たる。

邪魔。

ではないね。

風流だった。

水が濁っていて、わかりにくかったが、金魚とメダカが泳いでいるのが見えた。


撮った写真ではわからないね。

港区みどりの実態調査(第10次)で湧水・地下水の調査をしたそうで、次のように報告されていた。

緑地は小さな谷状の地形となっており、周辺の台地斜面には、寺院・墓地や中国大使官邸の小規模な樹林地が点在。南東側台地斜面には麻布高校・中学のグランドがある。 

池の上流部、緑地の北西端に水路敷がありここから湧水が湧き出していると推定される。水路敷から水が来ず塩ビパイプを通じて水道水を補給していた(麻布地区総合支所土木係による)が、H28年末時点では水道水の補給もしなくなったとのこと。本年は、夏季、冬季とも湛水があり水質のみ測定。湧出量計測不能

水研クリエイト社によるリフォーム 2012年(平成24年)8月完了
宮村池上流の水路の漏水箇所の補修と合わせて、 小川と排水設備のリフォームを行った。

10年前にリフォームされた場所がこちらだと思う。

上流側の湧水口


全然水が出ていなかった。

下流側にはパイプが設置されていた。

ドクダミだらけ

太陽光パネルが設置されていたので、湧水を池に入れるポンプの電源になっているのだろう。

池の排水口のパイプ


がま池

所在地 東京都港区元麻布2丁目10番

お屋敷の入口付近にある「がま池」の説明板

「がま池」のあるこの土地は、江戸時代には五千石の旗本、山崎主税助治正の屋敷であった。
言い伝えによると、同家の家来が屋敷内の夜回りに出た時、大がまのために殺された。
そこで、治正はがま退治を決意して寝たその夜、がまが白衣の老人となって夢枕に立ち、その罪を深くわび、今後当家の防災に尽くすことを誓った。
その後、文政のころ、高台下の古川岸に火災が起こり、この付近まで延焼してきた時大がまが現われ、池の水を吹きつけて火を防いでくれたといわれている。
怪奇な伝説が生まれたこの池も、今ではなかば以上が埋めたてられたが、昔の面影はわずかに残っている。 

昭和五十年十二月     

東京都港区教育委員会

この説明板があるのは「仁風林」という人材派遣会社パソナの福利厚生施設。しかし、これは表向きで、実際は・・・らしい。(興味がある方は調べてみてね。)

説明板がなぜここにあるのか調べてみたが分からなかった。

がま池は2019年頃まではコインパーキングから垣間見ることが出来たようだが、今ではそこにマンションが建ってしまい、見えなくなってしまっていた。

周りを歩いていると、別なマンションの駐車場の奥に竹が見え、そこからなら見えそうな気はするが、駐車場には高級車、入口には防犯カメラがあり、難しそうだ。

Googleマップの航空写真

この写真を見てもPと書かれている駐車場からが唯一見えそうな感じ。

元々500坪くらいあったそうだが、1933年(昭和8年)に半分近くが埋め立てられ分譲され、戦後もマンションの建設でわずかに残されるのみになったところで、「ウィンザーハウス元麻布」が2002年8月に竣工され、池の面積(約700㎡)のうち約4分の1の175㎡が埋め立てられてしまったそう。

がま池に面した部屋では、バルコニーに出てがま池を見れてるそうだが、夏は蚊で大変そう。

がま池の名がある高級賃貸マンション「ザ・ハウスがま池」



電信柱のプレートには、カタカナのもの、手書きのもの、漢字のものがあった。

町名でないものが書かれているのが面白いところ。

十番稲荷神社

所在地 東京都港区麻布十番1-4-6

正面に向かって鳥居右手に「かえるさん」がお祀りされている。

かえるの由来

昔ある年、古川辺から燃え出した火事に此辺りすべて烏有に帰してしまった時、「がま池」のほとり山崎主税助の屋敷のみ類焼を免れたのは、池中にいた大蛙が口から水をふいて、さしもの猛火を吹き消したとの故事により、山崎家から万人に 「上の字」様のお守が授けられました。 その後末広様(当社の前の御社名)を経てわけられていました。 その故事に因んだ「かえる」お守は火防・ やけどのお守・無事かえる・若がえる・ 何でもかえるお守として貴ばれております。

この石像は1977年(昭和52年)に地元の小林石材工業で作られ、後に商店街を通じ当社に奉納された。その後ほどなくして小さなカエルの石像も奉納され、2体の石像となった。


麻布山善福寺の柳の井戸

所在地 東京都港区元麻布1-6

善福寺参道右手にある。

「楊柳水銘」と書かれた石碑

楊柳水銘

毖彼石泉 盈科而流 空海所呪
其霊永留 阿那楊柳 水中影浮
飲者治疾 徳潤千秋
明和二年乙酉歳中秋前一日
藤公縄義篆 藤定福銘 葛辰書

柳の井戸は自然に地下から湧き出る清水である。
東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないためか、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突き立てたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語り継がれてきた。
特に現在の我々としては、大正12年関東大震災や昭和20年の空襲による大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用に一層の関心をはらうべきものと思われる。

昭和49年1月(平成26年12月建替)

港区教育委員会

この記事で投稿数1,500達成!ということに翌日(2024年11月3日)に気が付く。