歩・探・見・感

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滝の川公園のコンクリート塀にいることわざ河童

以前も滝の川公園の周りを歩いたことがあるのだが、その時は気がつかなかった。

2024年10月27日、歩道から公園内を見ると色が付いたものが見えた。

近寄ってみるとこれだった。

河童の川流れ

水の中を気持ちよさそうに泳いでいる。

諺では、水中に自由自在に活躍する河童も、時としては水におし流される。転じて、達人も時には失敗を招くことがある。

河童の木登り

どう見ても木登りしているように見えない。

きゅうりをかじっているとしか見えないよね。

だいたい河童は木登りができないはず。

諺があった。

苦手なことをするたとえ。 またはやっても出来ないこと。

他にも河童がいないかと園内を探していたら、いた!

よく見ないとわからないかもしれない。

薄汚れてしまった河童たちがいた。

上の河童には気が付いている人がいるが、この河童たちには気が付いている人はあまりいないようだ。

こちらにいた河童には書かれているものが何もなかった。

泳いでいる河童が2匹

岩陰からのぞく河童

左手に持っているのはキュウリ?

これらの河童の諺は?

ということでかっぱの諺シリーズ。

河童の屁
容易で何でもないこと、取るに足りないことのたとえ。水中の屁は勢いがないところからという。

屁の河童
なんとも思わないこと。するのがたやすいこと。

陸に上がった河童
《河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなるとされるところから》力のある者が、環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。

河童の木登り
苦手なことをするたとえ

河童が皿の水をこぼしたよう
頼みにしているものを失い、呆然としている様子

河童に塩をあつらえる
河童は海には住まないので、見当違いの注文をするたとえ

河童に尻を抜かれたよう
気が抜けてぼんやりしている様子

河童に水練を教える
知り尽くしている人に、偉そうに説教をしようとする愚かさのたとえ

河童の寒稽古
一見苦痛のように見えながら、実はなんでもないことのたとえ

たくさんあった。

なぜこの公園に河童がいたかというと、次のようなカッパにまつわる伝説があったからのようだ。

《民話「滝の川のカッパ」》

区役所の近くを南の方に向かって流れている滝の川。かつて権現山の山上からひとすじの滝が流れ落ち、滝川となってこの川に注いでいました。このため、この川を「滝の川」というようになりました。その滝つぼには、数百年も生きているカッパがいたといわれています。
 滝つぼの主であったカッパは、近くの東海道に出かけては旅人にいたずらをしたり、馬から荷物を奪っては馬子を困らせていました。ある日、神奈川宿に住んでいた剣術使いの浪人がそのカッパをつかまえると、カッパは涙を流しながら「わたしには夫がいましたが、去年、大蛇に決闘を挑まれ、殺されてしまいました。残された二人の子どもを養うために、悪いこととは知りながら人間に迷惑をかけていました」との打ち明け話。「今後二度と悪いことはしないので命だけは助けてください。先ほどの話がうそではない証拠に、命の次に大切なものを今夜差し上げましょう」と手をあわせて懇願するので、浪人も同情して許すことにしました。そしてその夜、浪人宅に昼間約束したカッパの夫のサラが投げ込まれました。
 カッパがくれたのはサラではなくカッパの頭だったという言い伝えもあります。

公園内にあった「明治天皇行在所之蹟」

明治神宮宮司陸軍大将一戸兵衛謹書」

「行在所(あんざいしょ)」とは、天皇が宿泊した場所を意味している。