「上布田町」は以前発見していたのだが、下記の記事で紹介していなかった。
今回の探索で新たに発見したものもあるので、合わせて紹介することにしよう。
多摩川の河川敷に現存している町名だが、住民がいないので、旧町名扱いとしている。
①
発見日 2022年3月12日
発見場所 東京都調布市布田5丁目
②
発見日 2024年12月16日
発見場所 東京都調布市布田5丁目
③
発見日 2022年3月12日
発見場所 東京都調布市布田6丁目
④
発見日 2024年12月12日
発見場所 東京都調布市調布ヶ丘1丁目
歴史
1889年(明治22年)4月1日
市制・町村制が施行開始され、神奈川県下にあった北多摩郡に、現在の調布市域にあたる以下の2町村が発足した。
調布町 - 布田小島分村、上石原村、下石原村、上布田村、下布田村、国領宿、上ヶ給村、飛田給村が合併。
神代村 - 深大寺村、佐須村、金子村、柴崎村、下仙川村、入間村、大町村の全域および北野村の一部が合併。
1943年(昭和18年)7月1日
東京都制が施行され、東京府が廃止され東京都となり、北多摩郡調布町・神代村は東京都に属することとなった。
1955年(昭和30年)4月1日調布町と神代町が合併して市制施行、調布市が成立した。
1971年(昭和46年)6月1日、
上布田の一部が布田となる。
1972年(昭和47年)3月1日
上布田の一部が調布ケ丘となる。
1975年(昭和50年)1月1日
上布田の一部が小島町になり、残余は多摩川の河川敷だけとなる。住民登録されている人口はない。
ここからは見つけた"上布田"の痕跡たち
近藤勇と新撰組ゆかりの人
(上布田宿)
伊東 玄朴
(寛政十二年~明治四年)
伊東玄朴は蘭方医でシーボルトの弟子。後に幕府奥医師となる。
勇が近藤周助の養子になってのち病にかかり、病状が次第に悪化して上石原に帰ったことがあったという。
玄朴が上布田宿に来たときに診断、投薬したところ本復し事無きをえたという。
玄朴は多摩郡小野路村(現町田市小野路町)の各主で勇と義兄弟の契りをかわした小島鹿之助宅にも往診した記録が残る。
上布田親睦会 小島町3丁目 布田5丁目
上布田第一自治会 布田1丁目・4丁目
上布田第二自治会 布田1丁目・4丁目
上布田第三自治会 布田1丁目 調布ヶ丘1丁目
上布田第四自治会 布田1丁目
上布田保育園
上布田公園
上布田商栄会
バス停 品川通上布田
電柱のプレート
上は上布田、下は下布田になっている。
この辺りが境界になっているのか?
「下布田町」は以前上の記事でひとつ紹介したが、最近の取材でいくつか発見したので、いずれ紹介することにしよう。