たまに前を通り、写真を撮ったこともあるのだが、まだ記事にはしていなく、この時計塔に書かれているプレートについて書かれている方もいないようなので、今回は記事を書いてみることにした。
撮影日 2024年12月30日
外苑前交差点角に設置されている時計塔

下に設置されているプレート

我が街青山
人生が「旅」であるならば、都市の変遷も亦都市にとっての「旅」でありましよう。
天正十九年(一五五九)青山藤右衛門忠成 徳川家康より此の地域を拝領、以未「青山」の地名が生まれたと伝えられる。
此の辺りは、標高三十七メートル 都心の中で最高位にあり、曾て、此の台地より遥か南に三浦房総の山々が紺碧の海洋に浮かび 西には麗峰富士、更に目を移せば、秩父連峰 筑波の山陵を指呼の間に望まれたと言う。
青山通りは、往昔 大山街道と呼ばれ、東海道、青梅街道に対し、脇往還であり、山裾に民家が点在し、旅人の往来も少なく、起伏の多い、閑静な街道であった。
近年 経済の発展に伴い、都市の変貌は著しく、今や自然の環境も街々も往来の面影を全く失いつつあります。
然しながら、我が街青山は、交通至便で緑多く、周辺の環境も着々と整備され、散歩に、ショッピングに、近代都市として、世界に誇り得る街に見事に変貌を遂げました。
此の時にあたり、歴史を回顧し、往時を偲び、悠久なる時の流れと無量を此の時計塔に仮託して、人々の記憶を蘇らすよすがにし、併せて、此の地に住む人々の果てしない未来の幸せを願うものであります。
南北青山二丁目町会創立三十五周年を記念して街の中心地に此の時計塔を建設した会員の総意は、正にここにおかれております。
昭和五十七年(一九八二)七月
建設委員一同
「大いなるかな」?「美しいかな」「壮んなるかな」「我が街青山」

「大山への道」?

これが建てられたのが1982年、約40年前のこと。
その頃はこの辺りがどうなっていたか知らないが、当時の建設委員の方たちが今の青山を見たら、更なる変貌に驚くことだろう。
北青山二丁目にある速榮山持法寺の石碑

「武州豊島郡青山」と刻まれている。
明暦元年(1655)に創建されたお寺らしい。
その頃は、この辺りから富士山が見えたのだろう。