歩・探・見・感

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旧町名「駕篭町」が書かれている関配プレート

春日通りを歩いているとお寺の門にプレートが貼られているのが目に入った。

何のプレートだ?

近づいて確認してみると「駕篭町」と旧町名のものだった。

ここは、豊島区に近いところだ。

駕籠町があった辺りから随分離れているのに。

①発見日  2025年2月6日

 発見場所 東京都文京区大塚六丁目

関配のプレートはたまに見かけるが、一番上は数字になっていて、このように町名が書かれているのは初めて見たかもしれない。

中央も数字だけで、「外」と書かれているのも初見かもしれない。

関東配電株式会社(かんとうはいでん。略称は「関配(かんぱい)」)は、1942年から1951年まで存在した企業。日本最初の電力会社東京電燈の後身であり、現在の東京電力グループの前身にあたる。

次のものは、約4年ほど前に発見していたが、まだ紹介していなかったようなので、合わせて紹介することにしよう。

②発見日  2021年2月20日

 発見場所 東京都文京区本駒込六丁目



③発見日  2021年3月4日

 発見場所 東京都文京区本駒込六丁目

旧町名を併記してくれていることに思いやりを感じる。

旧町名案内

むかし、巣鴨村に属していた。
元禄10年(1697)幕府の御駕籠の者51人に土地を与えられた。巣鴨御駕籠町と呼んだ。明治2年、御の字をとり巣鴨駕籠町とした。
同5年、旧加賀藩中屋敷の前田邸を合併、同24年、巣鴨駕籠町を小石川駕籠町と改めた。
町名は、幕府御駕籠の者の居住地であったことによるが、御駕籠の者とは将軍専用の駕籠をかつぐ人、長身の者が選ばれ、秘密厳守の誓約を入れた。
明治になると、町内の大半が三菱岩崎家の所有となった。大正11年、住宅地に開放した。


むかし巣鴨村に属した。
元禄10年(1697)幕府の御駕籠の者51人に土地与えられ、巣鴨御駕籠町と呼ばれた。
明治2年、御の字をとり巣鴨駕籠町とした。
同5年、旧加賀藩中屋敷の前田邸を合併、同24年、小石川駕籠町と改めた。
御駕籠の者とは、将軍専用の駕籠をかつぐ人。

駕籠町公園

石碑

駕籠町の由来
元禄10年(1697)江戸幕府は、「御駕籠の者」51人に、この地を与え居住させた。御駕籠の者とは、将軍専用の駕籠をかつぐ人で、長身の者が選ばれた。
昔、この辺りは巣鴨村に属していたので、町の名を御駕籠と合わせて巣鴨御駕籠町とした。古老の伝えによれば、将軍御用達のときは、小刀の着帯が許され、秘密保持などの厳格な規定があったと言う。町名に「御」の字がつくのは、将軍との関りを示す。
明治2年(1869)「御」の字は削除され、小石川駕籠町となった。
さらに、昭和39年(1964)町名が整理統合され、親しまれた駕籠町の町名は消え、今では駕籠町小学校・駕籠町公園などに、懐かしいその名が残っている。 

平成10年3月

文京区立駕籠町小学校



文京区立駕籠町会館



駕籠町会の掲示



駕籠町藪そば



駕篭町ビル



地図



ここからは余談。
"篭"と"籠"に違いはあるのだろうか?

調べてみた。

1978年に制定されたJIS漢字は、5年後の1983年に最初の改正が行われた。この改正では、多くの表外漢字が略字体に変えられたほか、それまで第1水準に康熙体、第2水準に略字体があった漢字22組について、第1水準と第2水準の字体の入れ替えが行われた。「籠/篭」も78年の規格では「第1水準=籠、第2水準=篭」だったのが、83年改正で「第1水準=篭、第2水準=籠」というふうに入れ替えられた。

と書かれているものがあるが、よくわからない。

要は「籠」が正式な字体で、 「篭」は略字ということらしい。

2025年2月13日 
文京区立駕籠町会館と駕籠町藪そばの写真追加

町内に東京府の境界石の目撃情報があったのだが、隣接しているビルが修繕工事中で、足場が組まれてしまっており、確認できず。6月までかかるらしいので、それ以降に確認しに行くしかなくなってしまった。バットタイミング。

2025年2月15日
駕篭町会掲示板、駕篭町ビルの写真追加