現地探索による長年の実施訓練の結果、電力プレートはかなり遠目からでも分かるようになった。
たまに似たような形をしているものに出会うこともあり、「あっ、違った。」ということになることもあるが、今回のようにすべてが見えなくても、離れた所からすぐにフォーカスできた。
発見日 2025年2月25日
発見場所 神奈川県藤沢市辻堂元町三丁目

タイヘイ?
見つけたのだが、近くに痕跡(自治会・町会、電柱など)は見つからなかった。
そこでネットで調べてみた。
1967年10月1日に実施された住所表示は、
辻堂元町一丁目 大字辻堂字熊之森・字土打
辻堂元町二丁目 大字辻堂字土打・字後山・字ガル池・字大荒久・字高山・字一ノ坪
辻堂元町三丁目 大字辻堂字熊之森・字後山・字一ノ坪・字出口・字久根下
辻堂元町四丁目 大字辻堂字出口・字一ノ坪・字堂面
辻堂元町五丁目 大字辻堂字一ノ坪・字大荒久・字長久保・字堂面
辻堂元町六丁目 大字辻堂字高山・字大荒久・字猪王面・字長久保
この中に「タイヘイ」と読めるものはなさそう。
調べてみると、「辻堂太平台(つじどうたいへいだい)」という町名があることがわかった。(実は、ここに来る途中通っていた。)
「太平台」を調べてみると、大字辻堂時代の小字を継承したもので、昭和初期、この地域を別荘地として開発した平沼覚三郎と、当時の藤沢町長の大野守衛の苗字から、引地川にかかる橋を「大平橋」と名づけたことに由来する、とのこと。
橋の存在を知らなかったので、大平橋には立ち寄らなかったが、橋のたもとに大平橋の由来の碑があるそうだ。
大平橋の由来
昭和のはじめ頃まで引地川は曲りくねていて大雨のつど氾らんし附近の住民は家屋の浸水や農作物の大きな被害に悩まされていました。このため藤沢町は昭和7年から8年にかけて当時昭和の大不況打開策として推進されていた時局匡救農村振興土木事業によって抜本的河川改修工事を行ないその際鵠沼耕地整理組合から河川敷を提供していただき現在の位置に川を移しました。
この改修に合わせ昭和10年4月藤沢町により総工費5,682円をかけたもとに洋風の照明のついた大変立派なコンクリートの橋ができました。この頃平沼覚治郎さんはこの附近一帯の宅地開発を進めていましたが川をはさんだ東西の交通のためにとこの橋の新設に当って多額の寄附をされました。こうしたことから町長の大野守衛さんと平沼覚治郎さんの苗字の頭文字を取り「大平橋」とし、この附近を「大平台」という地名にしました。その後四十有余年、大平橋は鵠沼と辻堂をむすぶかけ橋としての役割を果たして来ました河川改修工事に合わせ総工費2億4千万円をかけて架替えられました。
これを読むと、もともとは「大平台」だったようだ。
1967年(昭和42年)10月1日の住居表示で、大字辻堂字堂面・字太平台から辻堂太平台一丁目が、大字辻堂字長久保・字堂面・字太平台から辻堂太平台二丁目が新設されており、実施前にすでに藤沢市大字辻堂字太平台になっていた。
いつから「大平台」が「太平台」になったのかは、調べてみたが、分からなかった。