西郷さんの銅像近くにあるのだが、あまり注目されていないものと思われる。
自分もその存在に今回(2025年2月15日)初めて気が付いた。


大正十二年九月十五日
摂政殿下大震災ノ惨状御
視察ニ際シ畏クモ此地ヨ
リ御展望遊サレ被害ノ情
況ヲ聞召サル越エテ七歳
昭和五年三月二十四日
天皇陛下此ニ臨御アラセ
ラレ親シク街衢ノ復興ヲ
曫ハセ給フ乃テ石ヲ此處
ニ樹テ以テ 聖恩ヲ不朽
ニ傳ヘントス
大正12年9月15日 摂政殿下大震災の惨状御視察に際し、畏くも此地より御展望遊され被害の情況を聞召さる。越えて7歳昭和5年3月24日 天皇陛下此に臨御あらせられ親しく街衢の復興を曫はせ給ふ。乃て石を此處に樹て以て 聖恩を不朽に傳へんとす。
療養中の大正天皇に代わり、震災に即座に対応したのが、大正10年(1921年)から摂政に就任していた、皇太子時代の昭和天皇。発生直後から被災地に赴き、自ら被害状況の視察を行った当時22歳の昭和天皇。上野公園の高台から、焼け野原になった街を見て東京府知事や内務大臣などから、被害状況について説明を受けた。
7年にしてようやく復興を遂げ、昭和5年3月26日に復興式典が行われた。そして式典に先立つ3月24日、復興した都市の様子を視察するため、昭和天皇の帝都巡幸が行われた。
道筋
「九段坂上の御展望所」を出発した後、「東京府立工藝学校」(現文京区)、上野公園(現台東区)、浅草を抜け言問橋を渡って、「隅田公園」「震災記念堂」(現墨田区)に立ち寄り、蔵前橋、江戸通り、浅草橋を通って日本橋区に入り、清杉通りから「千代田小学校」に正午8分過ぎに到着、約1時間半ほど滞在して、午後1時半に出発し、その後、清州橋を渡り深川の街を抜けて、永代橋から京橋区へ入り、⑧東京市立築地病院に立ち寄った後、皇居(宮城)へ帰着された。
裏面

昭和十年九月 東京市
上の道筋に「千代田小学校」が書かれていることから、東日本橋の日本橋中学校(旧東京市千代田尋常小学校校)の裏手、隅田川沿いの浜町河岸通りに建っている臨幸記念碑の写真を撮っていたことを思い出した。(撮影日 2022年5月25日)



臨幸記念碑 現代語訳

大正十二年(1923)九月一日に起こった関東大震災に伴う火災により、未だかつてない災いを蒙った帝都東京も、更正の努力七年にして、復興という重大な事業を完成しました。昭和五年(1930)三月二十四日に、おそれ多くも天皇陛下が復興した帝都をご巡幸されました。
この日、天皇が乗用する車を本校におとどめなさり、三階の御座所にてご休憩遊ばれ、復興功労者に直にお会いなされ、復興小学校代表者一同の拝礼をお受けになられました。本校はまた、親しく方々をご覧になられる光栄を受けました。この間、実に一時間二十五分に及び、誠に恐れかしこまり感激に堪えず、臣下である私達は、謹んで天皇の命令を心にとどめて、朝から晩まで一心に励み、それによってその本分を尽くして、天皇のご恩の万一にも報い奉ることを決心しました。
ここに本校後援会で相談をして、天皇が一時乗り物をとどめた場所としての記念碑を建立します。碑が完成するにあたり、これを彫り刻んで後世に伝えます。
昭和八年三月二十四日