なぜ、"南"と"北"が"西"になった?
理由は下に書いてある歴史の中に書かれていた。
発見日 2020年11月19日

歴史
1872年(明治5年)10月10日
大区小区制に伴い、橘樹郡南綱島村と北綱島村は樽村・大曽根村・太尾村・箕輪村と共に神奈川県第3大区7小区となる。
1878年(明治11年)7月22日
郡区町村編制法に伴い、元の橘樹郡南綱島村と北綱島村に戻る。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、南綱島村および北綱島村の2村は樽村・大曽根村・太尾村・大豆戸村・菊名村・篠原村の周辺各村と合併して大綱村が成立。旧村域に大字を置き、旧村名を大字名としたため、綱島地区には南綱島・北綱島の2大字が置かれた。
1927年(昭和2年)4月1日
橘樹郡大綱村は横浜市に編入され、大字南綱島・北綱島を廃し、新たに南綱島町・北綱島町の2町が置かれた。この2町は同年10月1日の区制実施の際に神奈川区に編入された。
1939年(昭和14年)4月1日
都筑郡各町村の横浜市編入による港北区新設に伴い、綱島地区は神奈川区から港北区に編入される。
1947年(昭和22年)3月12日
早渕川の向かいに位置する飛び地に綱島上町を設置。
1949年(昭和24年)
南綱島町、北綱島町より綱島町を新設し4町になる。いずれも耕地整理事業によるもので、新吉田町・日吉町・箕輪町の各町と境界変更を行った。
1962年(昭和37年)3月1日
鶴見区駒岡町字新川向の一部を南綱島町字新田耕地に編入。
1973年(昭和48年)6月11日
住居表示が実施され、綱島町・南綱島町・北綱島町を廃し、新たに綱島東一 - 六丁目、綱島西一 - 六丁目、綱島台の各町が設置される。これはこれまでの3町の境界が複雑に入り組んでおり、また飛び地も多く混在し合っていた事から東急東横線を境に東西に分け、また、台地は綱島台として別個に新設したもの。この時、樽町の鶴見川北岸にあった飛び地も編入している。
綱島東一丁目 南綱島町および北綱島町の各一部、樽町字堤外の飛地
綱島東二丁目 南綱島町の一部および北綱島町飛地
綱島東三丁目 綱島町、南綱島町の各一部
綱島東四丁目 綱島町の一部および北綱島町飛地
綱島東五丁目 綱島町、南綱島町の各一部、北綱島町飛地
綱島東六丁目 綱島町、南綱島町の各一部および北綱島町、樽町字堤外の飛地
綱島西一丁目 南綱島町の一部および北綱島町飛地
綱島西二丁目 綱島町、南綱島町の各一部および北綱島町飛地
綱島西三丁目 綱島町、南綱島町の各一部および北綱島町飛地
綱島西四丁目 綱島町、北綱島町の各一部および新吉田町字具々田の飛地
綱島西五丁目 綱島町、北綱島町の各一部
綱島西六丁目 綱島町、北綱島町の各一部および南綱島町飛地
綱島台 南綱島町、北綱島町の各一部(相互の飛地を含む)
