神辺土建コレクション

この大量な琺瑯看板のコレクションの中に旧町名の痕跡がいくつかあった。
発見日 2025年4月22日

消えている大字名はサンズイが見えているので、「津久根」か?
発見日 2025年5月5日

"梅園"が入っているので、旧町名扱い。
ここからは2025年5月5日のこと。
予定では越生駅から50分くらいで行けるはずだったが、例のごとく寄り道してしまったため、1時間半くらいかかってしまった。駅からバスを乗る選択もあったのだが、20分後だった。待ったしても、結果的にバスの方が早く着くのだが、待つのは嫌なので、歩くことにした。
越生梅林周辺図

周辺図の"うめその梅の駅"は"自然休養村センター"のこと。
梅園村道路元標は"うめその梅の駅"近くにある。



道路元標とは、道路行政の基本法として大正八年(一九一九)に制定された(旧)道路法をうけて、全国の市町村に、道路の基点として建てられた標石である。これらを起点、終点に、近代的な道路網の整備が進められた。
かつて、ここの一角には梅園村役場が置かれていた。梅園村は、明治二十二年(一八八九)に、津久根村、小杉村、大満村、黒山村、龍ヶ谷村、麦原村、上谷村、堂山村を併せて成立し、昭和三十年(一九五五)の越生町との合併まで存続した。
梅園神社


梅園神社は古くは神仏習合の社で、後述の棟札には岩峰山安楽寺天神宮と記されている例もある。江戸時代には小杉天神社と称し、修験山本坊配下の大泉院が社務を司っていた。明治維新の神仏分離を経て、明治四十年 (一九○七)に堂山の近戸神社、上谷の三島神社ほかを合祀して梅園神社と改称した。
南北朝時代の観応元年(一三五〇)から江戸時代の嘉永五年(一八五二)までの、社殿の上棟・再建・修理年月日、願主や工匠名などを記した計二十八枚の棟札(町指定文化財)が伝存している。このうち享保元年(一七一六)の棟札が現本殿造営時のものとみられ、当本殿は建築時期を知り得る町内の神社建造物の中では現存最古と推定されている。絵図から、同時期の建築と思われる拝殿の建築当初の様子を窺うことができる。
令和四年三月





越生浪漫No.177

広報おごせ 2023.11 No.757より
梅園中学校校地跡

梅園村立梅園中学校は、昭和二十二年(一九四七)四月、梅園小学校北校舎(大字堂山字中久保)を仮校舎として開校した。戦後の混乱のさなか、翌年には、当地に新校舎が竣工し、六月三日に落成式が行われた。
昭和三十年の町村合併により、越生町立梅園中学校と改称、同四十四年四月に越生中学校と統合、翌年九月、大字成瀬に竣工した新校舎に移転し、二十三年間、千六百余名の卒業生を送り出した歴史を閉じた。
平成二十八年三月

自然休養村センター 越生町小杉

江戸時代、越辺川上流域の津久根、小杉、大満、黒山、龍ヶ谷、麦原、上谷、堂山の村々では、恵まれた自然を生かした農林業や製材・木工業が発展し、峠や尾根を介した人や文物の往来による独特の文化が育まれていた。明治二十二年 (一八八九)、これら八ヶ村が編成されて梅園村が誕生した。
明治三十年代には、梅林保勝会が創立され、黒山では鉱泉宿が開業した。鉄道の延伸、馬車の運行など、交通網の整備も進み、梅園村は行楽地としても知られるようになった。
昭和十七年(一九四二)には梅林が県指定名勝になり、 昭和二十六年には梅園村を中心とする地域が県立黒山自然公園に指定された。昭和三十年に越生町と合併、旧梅園村域は昭和四十八年に、梅とゆずを基幹とする観光農業の振興を目的とした自然休養村整備事業の対象となり、昭和五十二年に中心施設として自然休養村センターが開設された。
名瀑黒山三滝、麦原のあじさい街道、関東一の巨樹上谷の大クス、源頼朝開基と伝わる最勝寺、太田道真・道灌ゆかりの龍穏寺、大田道真退隠地、渋沢平九郎の古跡、武蔵越生七福神めぐり、秋の獅子舞など、見どころは尽きない。ここを起点に、自然散策や歴史探訪を楽しんでいただきたい。
令和二年四月三十日

梅園橋

歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、津久根村、上谷村、堂山村、小杉村、大満村、龍ヶ谷村、黒山村、麦原村(比企郡)の8か村が合併し、梅園村が成立。