ネットて調べていたら、面白いものを見かけた。
番地が書かれていたので、板橋區時代の古地図で拡大鏡を使って番地を探し出す。そして、グーグルマップとその場所を照らし合わせたところ、おおよその場所がわかった。
次はストリートビューのお出ましだ。
この道沿いにあるだろうというところを探してみる。
すぐには分からなかったが、見つけることが出来た。(左下)

しかし、問題はストリートビューの日付だ。
最新が、2022年6月となっていた。
ちょうど3年前だ。
残っているだろうか?
2025年6月12日、武蔵関駅から探索を開始する。
現場付近に到着。
ない!
ストリートビューで確認したところに、ない!
周辺をキョロキョロ。
防犯カメラが複数台アリ、気になる。
奥の方を見るとあった!

上の蓋が壊れてしまっていた。
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当然当時のものではないだろうけど、当時からお住まいだった方でないと、書けない旧町名。
でも、なぜこんなものに書いたのかな?
歴史
江戸時代は武蔵国豊島郡関村の小名大関、小関、葛原、小額、および竹下新田の小名淵崎あたりに相当。
1889年(明治22年)5月1日
町村制施行により関村と竹下新田は東京府北豊島郡石神井村大字関甲と関乙となり、関町北は字川北、溜淵、葛原、上竹にほぼ相当する。
1932年(昭和7年)10月1日
東京府東京市板橋区石神井関町二丁目の一部および石神井関町三丁目となる。
1949年(昭和24年)
地番整理により東京都練馬区関町二~六丁目となる。
1978年(昭和53年)1月1日
住居表示の実施により関町が分割され、東京都練馬区関町北となる。