
2025年5月12日は、月曜日なので、閉館していると思ったら、開館していた。
入館しようと思ったら、現金のみだった。
あまり現金を持っていることはないので、入館できず。
常に小銭入れは持参すると誓ったのだった。
少額とはいえ、他の支払い方法も検討してほしいものだ。
入館できなかったが、入口途中にポールが立っているのに気が付いた。

横浜市電最後のポールだった。


このポールは、1928(昭和3)年の横浜市電生麦線開業時に建てられた架線用のポールです。
かつては、市電沿線に列をなして建てられました。横浜の市電は、1904(明治37)年に横浜電気鉄道㈱によって発足しましたが、1921(大正10)年に横浜市が買収して市電となりました。横浜の市電の最盛期は昭和30年代で、路線長は50キロを超えていました。しかし、自動車交通の波にのまれ、1972(昭和47)年3月31日限りで横浜からその姿を消してしまいました。その後市電の線路は道路となり、架線用ポールも道路整備や腐食のために撤去されていきました。
このポールは、神奈川新町の国道15号線の歩道上に奇跡的に残った最後のポールです。このたび道路整備のため撤去されることになったので、記念に保存するため横浜市電保存館に移設しました。なお、撤去されたのは2007(平成19)年6月3日で、高さは地上から7.3mあります。先端のねぎぼうずみたいなポールトップは鉄製の飾りもので、いくつかの型があります。市電保存館の館内に展示されています。
社営時代から取り付けられていました。
このポールの下の部分に穴があいていますが、戦時下の1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲で受けた被弾の跡といわれています。
2007(平成19)年7月
横浜市電保存館
ポールトップ

被弾の跡

市電車輪
