歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「千葉県香取郡下総町猿山」

成田線滑河駅、約2時間かかった。

ずいぶん遠くへやって来たものだ。

ここには、ある貴重なもの(香取郡滑河町時代のもの)を探し来たのだ。

それはストリートビューで見つけていたので、容易に出会うことが出来た。

しかし、目撃情報があったものなので、自分の持ちネタがなくなったら、紹介することにしよう。

さて、次の仕事だ。

まだ、誰も紹介していないと思われるものを探しに行こう。

せっかく、こんな遠くまで来たんだ。

ひとつくらい見つけないと帰れない。(見つからなくても、帰るが・・・。)

幸いなことに、結構すぐ見つかった。

発見日  2025年6月24日

発見場所 千葉県成田市猿山

他にもないかと周辺を探してみるが、民家が少ない。

これ1枚しか見つけることが出来なかった。

足を延ばして、しもふさ運動公園にある「歴史民俗資料館」を目指す。

ここからは、公園や資料館、道沿いなどにあった下総町時代のものを紹介していこう。

下総町の歩み

誰もこれについて書いていないようなので、書き起こしてみることにしよう。

わが下総町は昭和二十八年町村合併促進法が施行になり昭和三十年二月十一日滑河町小御門村高岡村の合併によって孤孤の声をあげた本町は香取郡の西端に位し東は神埼町大栄町南西は成田市に接し北西は利根川を隔てて茨城県稲敷郡河内村に対している地勢はおおむね下総大地北端の谷津田を抱えこんだ起伏ゆるやかな小丘地帯と利根川に向って拡がる肥沃な水田地帯からなっている面積約三二平方粁戸数一四五六戸人口六八三二人の農業を主体とした町である。
本町発足とともに町役場を大字猿山一〇八〇番地に定め翌三十一年に庁舎が竣工も自治体運営の基本方針を教育施設設備の充実と文化生活の向上町道の整備農業の近代化等におき挙町一帯となって発足当初の町建設の歩を進めたすなわち三十二年度には公民館を建設し三十三年には下総中学校を創立するなど教育施設設備の充実と社会教育の強化のために三十九年度から四十八年度に亘り青少年の研修を憩いの場としての青年館が各部落に建設された一方農業構造改善のために圃場の整備と用排水路設備の改善寺土地改良の巨歩を進めて現在に及んでいる三十三年度には懸案の有線放送の全町普及を実現し町民の近代生活への躍進を図ったまた三十五年度重要文化財滑川龍正院仁王門の防火工事が国費の補助によって完成し引続き同院本堂改修に着手し四十三年度にはこれが完成を見冬父迎接寺寺宝鬼の面県有形文化財指定四十九年度小御門神社境内林の県天然記念物指定を受けるなど文化財整備の事業を推進した四十五年度新東京国際空港関連事業としての県主要地方道下総横芝線の開通を契機として町道の整備農業の近代化工場の誘致宅地の造成交通の利便等町の進展は実に目覚ましいものがあった
 四十八年度にはこの地に調整施行二十周年を記念して町民広場の建設を計画し地元地権者の協力によって土地の提供を受け綜合グラウンドが完成したなおこの年の八月永年これが実現に町を挙げて努力した甲斐あって全戸に亘る自動電話の架設を成し遂げまた防音校舎の新築もこの年から始まり滑河小学校下総中学校小御門小学校の順に着工され名古屋保育所の設置も同時に起工されたさらに千葉茨城両県の文化交流のかけ橋ともいうべき常総大橋の架橋と相まってその取付道としての県道工事はさながら町民広場の玄関口としてこの年に開通し本記念事業中特に町民の研修社交文化福祉と深いつながりをもつ共同利用施設の竣工を見たものこの年であった。
 本町発足後二十年の星霜を経て着々進展の一途を辿り今に見るような下総町に育ってきたのであるがこれはとりもなおさず歴代首長はじめ町民一同の愛郷の誠心と関係機関の一致協力の賜にほかならない。
わが下総町が時代の進運にとり残されることなく益々発展しこの広場を中心としていよいよ調和と友愛の結びつきを深め輝かしい未来に向かって永劫に躍進を続けることを記念して筆する

句読点がないので、解読に時間がかかった。読みにくい字もあり、誤字・脱字があるかもしれない。

下総町閉町記念碑

閉町記念碑というものを初めて見たかもしれない。

最初"閉町"という町があるのかと思ってしまった。

昭和二十八年町村合併促進法が施行され、昭和三十年(一九五五)二月十一日滑河町、小御門村、高岡村が合併し「下総町」が誕生、全国で三十六市町村、関東地方では唯一の伝統地名(旧国名下総国)を名乗る町として歩みはじめた。以後さまざまな社会変化のなか、五十一年間町民の愛郷精神のもと着々と躍進、発展してきた。
「二十一世紀は、日本の時代」と言われたがバブル崩壊による社会経済の長期停滞、少子高齢化、人口減少社会の到来、住民の日常生活と経済活動の広域化、更に地方分権確立のため平成十二年地方分権一括法が施行され、地方自治体行政転換の機運が押し寄せ、全国的に市町村合併が検討、推進されてきた。
下総町においても、成田国際空港周辺町としてのまちづくり、また住民の生活圏の拡大、行財政基盤の強化効率的な行政体制など総合的に考慮し、市町村合併について関係機関、及び町民と協議、検討を重ねた結果成田市・下総町・大栄町の一市二町で合併協議会を設置し平成十八年(二00六) 三月二十七日から新「成田市」となる合意に至った。よって平成十八年三月二十六日をもって下総町を閉町する。
ここに、住民愛情の意を体し記念碑を建立する。
平成十八年三月吉日
下総町長 可瀨 力

プレートに下総町民憲章が書かれているのだが、読めない。

下記のプレートに書かれていた。

下総町民憲章

私たちは、利根川が育む、緑と自然に恵まれた下総町民として、歴史と伝統を重んじ、いっそう文化の香り高い、活力に満ちた町をつくるため、この憲章を定めます。

一、自然を愛し、水と緑の豊かな
          美しい町をつくりましょう。

二、スポーツを愛し、心身を鍛え合う
          頼もしい町をつくりましょう。

三、隣人を愛し、心のかよい合う
          温かい町をつくりましょう。

四、文化を愛し、生涯ともに学び合う
          明るい町をつくりましょう。

五、郷土を愛し、徳性と秩序を尊ぶ
          清々しい町をつくりましょう。

(平成五年三月制定)

このモ二ュメントは、町民憲章の啓蒙の一環として、下総町町民憲章推進協議会で、二十一世紀の下総町をイメージした作品を下総中学校に依頼し、応募作品十一点について、 下総町文化祭に出品しアンケートを実施した結果、下総中学校二年生原田麻衣さんの作品を採用しました。
この作品の題名は「バランス」 です。
赤は太陽、上のみず色は空、下のみず色は川、緑は木や森、黄色は月ピンクはあかるい下総。
いつまでも緑豊かで、人々はとてもあかるく、川や水はとてもきれいで、なん年たっても町がきれいでいてほしいとの願いをこめた作品です。

平成十年三月 建立



家屋調査済証

国土調査

境界標



しもふさ七福神巡りモデルコース



歴史民俗資料館にあったもの

下総町章

下総町章(木川利一氏作成)
昭和30年2月下総町誕生。下総町の“下”を人文字で表し、“総”を中心に旧3町村の融和と両手を広げた先端は未来への町の発展を象徴したものです。

合併三町村

歴史

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行に伴い、滑河村、西大須賀村、大菅村、猿山村、四谷村が合併して滑河町(なめがわまち)(初代)が発足。

1955年(昭和30年)2月11日
滑河町が高岡村、小御門村と合併し、滑河町(2代目)を新設。同日下総町に改称。

2006年(平成18年)3月27日
成田市編入。同日下総町廃止。