次の目的地としていた鎌ケ谷市をネットで調べていたところ、陸軍の境界標があることが分かった。
2025年7月5日、鎌ケ谷市郷土資料館に何か資料がないかと訪問したところ、入口付近に陸軍の境界標が展示されていた。

境界標

カーブ修正箇所【新京成線】

新京成電鉄路線について(補足)

新京成線は、津田沼-松戸間の旧鉄道連隊演習線の払い下げを受けて開業しています。演習線のためカーブが多かったことから、二和向台駅 - 初富駅の間と、五香駅-常盤平駅の間は短縮ルートが取られ、路線とならなかった部分もありました。「鉄道連隊の橋脚」は、二和向台駅と初富駅間に短縮ルートが取られたため、軌道は撤去されましたが、コンクリート製の橋脚だけが4基残ったものです。
この短縮ルートが設定されたことから、二和向台駅と初富駅の間に、 当初は「鎌ヶ谷」として計画されていた「鎌ヶ谷大仏駅」が1949(昭和24)年1月8日に開業しました。
旧陸軍鉄道第二連隊演習線標柱所在確認地図 南鎌ケ谷周辺
(2016年(H27)調査時点なので、現在は変わっていることもあります)
この図面の基本データは、下記の方々の調査成果を引用しました。
中條正博氏、青木明美氏(以上当館ボランティア)及び手塚雄太氏(当時当館学芸員・現國學院大学文学部准教授)
鉄道第二連隊演習線用陸軍用地境界標

年代:1925年ころ(大正末年~昭和初年) 郷土資料館蔵
津田沼町(現習志野市)に駐屯した陸軍鉄道第二連隊の演習線が津田沼一松戸間に敷設されることとなり、この時期にその用地買収が行われました。買収は順調に進み、1927(昭和2)年から工事が始まり、1932年に完成しました。その際に陸軍用地と民有地の境界に建てられたものが市域にも現存しています。この演習線は第2次世界大戦後、新京成電鉄路線となりましたが、その時にショートカットとなった部分もあります。現在のアカシア児童遊園(南鎌ケ谷1・東道野辺6)に残存するコンクリート製の橋脚もその部分に建設されたものです。鉄道連隊橋脚付近にもこの境界標が複数現存しています。
今回展示した境界標は、初富―新鎌ケ谷間に近年まで残されていたもので、この部分の高架化工事に際して抜き取られ、昨年新京成電鉄より市教育委員会にご寄贈いただきました。
拓本



境界標か境界標柱、どちらかに統一してほしい。自分的には境界石なのだけれど・・・。
上の旧陸軍鉄道第二連隊演習線標柱所在確認地図では、25本確認されている。ただ、2016年現在のものなので、変化があるかもしれない。
2025年7月7日、真夏と言ってもいいくらいの気温だが、現状を確認すべく、実査に向かうことにした。
Google マップの航空写真では、中新山交差点から豆ヶ台交差点までの左右に境界石のピンが6本立っている。


上の地図では、右側に5本、左側に4本書かれている。
まず右側にある境界標から確認していくことにしよう。
①




②


①と②は下部が埋まっていたはずだが、前の道路を建設するときに、掘り下げたのかもしれない。
③


④


コンクリートで埋められていたのを掘り出したように見える。ちょっと不気味さも感じる。
⑤

コンクリートに埋められているが、花崗岩ぽく見え、地図にもこの辺りに書かれていたので、境界標のような気がする。
⑥


頭の先だけ覗いていた。
豆ヶ台交差点まで境界標と思われるものを含めて6本を確認することが出来た。
次は左側を確認していくことにしよう。
Google マップでは2本、上の地図では4本確認できる。
①


②

③


④

上の地図の4本目あたりにはこれしかなかったが、この壁の中に境界標が埋まっているのか?
アカシア児童遊園に「史跡 鉄道連隊橋脚」がある。




所在地 鎌ヶ谷市東道野辺6丁目8番
この橋脚は、昭和初期に旧日本軍の鉄道大隊が、訓練や物資等の輸送のため、建設した鉄道の一部です。
近代の戦争では、鉄道は人や物資の輸送のために重要な役割を担っていました。千葉県でも、鉄道大隊から独立した第1鉄道連隊が千葉町(現在の千葉市)に、第2鉄道連隊が津田沼町(現在の新京成新津田沼駅の辺り)に配備され、昭和20年(1945年)第2次世界大戦終了まで活躍しました。
この橋脚は、第2鉄道連隊が、大戦中、鉄道を敷く訓練として津田沼~松戸間に設けた路線の一部でしたが、 終戦後は放置されていたため。この部分を除くほとんどを京成電鉄が買い受けました。その後、昭和21年(1946年)に京成電鉄の出資により新京成電鉄が設立され、当路線の整備を行いました。しかし、この部分は整備から除かれ、この橋脚だけが残りました。現在の新京成電鉄の全線が、整備を終え開通したのは、昭和30年(1955年)のことでした。
平成11年3月
鎌ヶ谷市教育委員会
いつになるかわからないがPARTⅡの記事を書くつもりで、それでは豆ヶ台交差点から先にあった境界標を紹介する予定にしている。