群馬県伊勢崎市で国内の最高気温41.8℃を観測した頃、自分は大森駅から探索を開始していた。結構風があり、熱風で日傘が裏返る。
約4年前に目撃情報をフォローしたもの、まだ元気してた。
①住所プレート
発見日 2021年5月24日
発見場所 東京都品川区大井六丁目

"品川區"の"品"の文字は見えなくなっているが、右書きで、旧字体なので、戦前の物と思われる。
①の近くを探索していた時、新たな「大井鹿島町」時代のものを発見。
②電力プレート
発見日 2025年8月5日
発見場所 東京都品川区大井六丁目

劣化しているが、上部に「小山」、中央に「カシマ-7」、下部に「16」の文字は確認できる。
土地由来

この辺りは、旧幕時代、天領で「大井村鹿島谷」と呼ばれ、幕府代官の支配地だった。
この一郭の南側に、今は暗渠となっているが、小川が流れ、これが大井と山王の境界をなしていた。これは現在も変わらない。
この流れの水源は、大井・原(今、西大井4丁目)の水神池の湧水。途中鹿島・庚塚遊園地の中程で品川用水と合流、この団地の下を流れて海に注いでいるもので、昔は当地を流れるときは渓谷をなし、岸には樹木が茂り、清冽な流れが滔々と音を立てる様は正に「鹿島谷」の名の所以を思わせるものであった。
小川の南側は山王地区で、江戸時代は旗本・木原氏の所領地。前のバス通りは、律令時代の東海道で、江戸期には平間街道ともいった。明治9年に「大森駅」が設けられると、翌、10年には貝塚が発見・発掘され、農地が宅地に造成され始め、華族や高級軍人・政商等の別荘が建ちはじめた。
この一郭(旧大井村鹿島谷2950-51番地)に、児島惟謙が広大な屋敷を建てたのは、明治36年ころのことである。
児島(1837~1908)は大津事件のときの大審院院長として名をあげる。
大津事件とは、明治24年、当時の「ロシヤ」皇太子ニコライ2世が日本を訪問された際、5月11日滋賀県大津で大津の巡査津田三蔵に切りつけられた。時の松方首相や西郷従道内相らは、皇室に対する犯罪と同質であり極刑に処することを主張したが、児島は司法権の独立と裁判の神聖のため、あくまでも法律の明文によるべきであると主張し、その結果、津田は謀殺未遂罪として、無期刑に処せられた。以上が「大津事件」の概要である。児島はその後、大審院長を退任、貴族院議員などを歴任、退官後大井村鹿島谷に居を定め、地元との交流につとめ、大森倶楽部の創立にさいしては、発起人39人の首班として努め、これが実現するや初代委員長として、在住名士・財界人等と親交を深めた。
明治41年72歳で亡くなるまで、ここに居を構えていたのである。
因みに電話番号は「大森局 壱番」であった。

鹿島庚塚児童遊園


大井鹿島公園

歴史
1889年(明治22年)5月1日
町村制の施行に伴い、大井村が単独村制。
1908年(明治41年)8月1日
大井村が町制施行して大井町となる。大井町字鹿嶋谷。
1932年(昭和7年)10月1日
荏原郡全域が東京市に編入、大井町の区域は品川区となる。大井鹿島町。
1947年(昭和22年)3月15日
品川区が荏原区と合併し、改めて品川区を設置。
1964年(昭和39年)
住居表示により大井・南大井・東大井・西大井が成立した。大井鹿島町は大井4・6・7となり、消滅。
由来
鹿島神社があることから名付けられた。