羽生駅については下記の記事で書いたことがある。
引続き羽生駅シリーズ。

紹介する碑に書かれている文章を書き起こした方がいないようなので、記事にしようと思い立った。(書き起こしていた方がいたら記事にしていなかっただろう。)
写真を撮った時は、来た記念にと思っただけで、「"りくはし"メモリアルボード」と「りくはしの由来」碑につながりがあるなんて、思ってもいなかった。
西口と東口を結ぶ自由通路にある「"りくはし"メモリアルボード」

羽生駅の東西を結ぶ『りくはし』は、駅西側地域の工業発展に伴い羽生駅利用者が急激に増加し、線路を横断する人が多くその危険防止と西側地域の利便性の向上を図るため、金子農機株式会社代表取締役金子専一氏が妻りくさんの遺志を継いで、駅の東西を結ぶ橋の建設費全額を負担して昭和38年5月に完成し、市民に便利で安全な歩行者専用の跨線橋として利用されてきました。
市制50周年の記念の年、羽生市の発展とともに歩んできた『りくはし』は、100年ぶりの全面改修となった羽生駅とともに、新しい自由通路に姿を変えることになりました。
ここに、金子専一ご夫妻の『りくはし』建設にかけた思いを銘記して、永く後世に語り継ぐものであります。
平成16年10月
羽生市
写真の上に歌詞が書かれていた。
妻に架ける橋
一、事放の悲劇を涙で聴いて
橋があればと口ぐせに
言うてた妻よ出来たのに
なぜに今日まで待たなんだ
二、東武秩父の跨線橋
走る電車のその上を
安全笑顔の人々が
草葉の陰で見えるかよ
三、水の流れと人の身は
夢かうつつかまぼろしか
妻に架けたるこの橋は
とこしえまでも遺したい
金子専一
"とこしえまでも遺したい"という想いは叶わなかったが、「"りくはし"メモリアルボード」に受け継がれている。
羽生駅西口に建つ「りくはしの由来」碑


陸橋建設は地元民多年の願望であり特
にりくさんの悲願であった りくさんは
不幸病魔のおかすところとなり昭和
三十七年五月遂に不帰の客とな
ったが この願いは夫君金子専一氏
と地元民の熱意により関係各方面の
積極的協力を得て実現された 陸に
架けられたこの橋の名はりくはしと
名づけられた 人々がこの橋を利用し
安全に往き来することによりりくさんは
安らかに永眠されるものと信する この
記念像は加須市在住の彫刻家法元
六郎氏の作であり 氏の篤志寄贈に
よって建立されたものである
昭和三十九年五月九日 羽生市長 松田専一
「りくはし」は「陸橋」をただひらがなにしただけだと思っていたが、「りく」さんの名前からきていたとは。
どこにでもドラマは眠っているのだなあ。
記事を書かなかったら、写真を撮っただけで終わっていて、そのうち記憶からも消えてしまっていただろう。
撮影日 2025年9月11日