歩・探・見・感

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旧町名「市川市根本町」の発見から『根本発展会』の歴史を知る。

市川駅に向かって松戸街道を歩いていた。

前回は市川駅から松戸街道を歩いていて、左側に曲がってみたいなと思う道があったのだが、時間の関係で曲がらず、まっすぐ行ってしまったところがあった。

今回は時間に余裕があったので、曲がってみることにした。

そうしたら、旧町名の痕跡らしきものを発見した。

発見日  2025年10月4日(再訪日 2025年10月18日)

発見場所 千葉県市川市市川四丁目

達筆だったので、最初何と書いてあるのかわからなかった。

先に進んだ所に、これがあって、ああ、"根本"と書いてあったんだということが分かった。


これで旧町名であることを認識する。

根本自治会館

「根本自治会」は、1937年(昭和12年)に設立され、現在市川市にある約250自治会の中で最も古い自治会と言われている。

自治会館の左側にある二宮尊徳先生之像

新築祝いとあるが、古そうな感じなので、どこかの小学校にあったものだろうか?

掲示


根本発展会

京成国府台駅付近から続く商店街の名称のことだった。

旧松戸街道と書かれている通り沿いにある。

根本発展会のことを調べていたら、次の記事が見つかった。

市川里見公園新聞(第33号 2007年12月30日)

市川市は軍隊がきて発展した町である。その中心が根本商店街である。「根本」とは、根の本であり、一番はじめを意味している。根本商店街には軍に物資を納入する店があり、兵を相手とする店があった。小林トーフ店、秋元八百屋、宇田川薪炭店などは軍に納入した店である。常盤湯の裏側に、2~3軒飲み屋があり、兵を相手とする女達がいた。「モンパリー」という店もあった。ぜんざい屋も2軒位あった。
 根本商店街をぬけると市川広小路につきあたり、役場・郵便局・警察署が千葉街道にそってあった。市川小学校のそばに憲兵隊の建物があり、馬が飼われていた。
 常に2千~3千の兵がいた国府台は、敗戦に伴い兵がいなくなり、根本商店街はさびれた。市役所は八幡に、警察署は三本松に、郵便局は平田1丁目に移転した。現在、繁華街は市川駅前や本八幡駅前に移っている。>

と書かれていた。

商工案内板

上記の店舗はないようだ。

かつては市川の中心地だったらしいが、当時の面影は全く感じられなかった。

橋名が書かれていた。



根本橋

木編もはねているし、"橋"の異体字"𫞏"が使われていた。

これがいい漢字(感じ)。

新根本橋の橋名板は見当たらなかった。

根本樋門



歴史

1878年明治11年
町村制の復活により、「市川村、新田村、平田村」の3ヶ所による市川村となる。

1886年明治19年
「市川村、市川新田村、平田村、真間村、国府台村、栗山村」の6ヶ村による「市川村」となる。

1889年(明治22年
市川村は「市川新田村、根本村、真間村、平田村、国府台村」の五ヶ村を合併して「市川町」となる。

1934年(昭和9年)11月3日
八幡町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字市川となる。
「根本」は「市川市大字市川字根本」となる。

1951年(昭和26年)12月1日
市内の大字を町に変更。それに伴い、市川より市川市市川町一丁目 - 五丁目、市川・真間より市川市根本町を新設。

1965年(昭和40年)7月1日
住居表示施行。市川町一丁目 - 五丁目、真間町二丁目、新田町三丁目、根本町の各一部を新町域として丁目を再編し、市川市市川一丁目 - 四丁目を新設。

今年(2025年)は根本町が消滅してから60周年の節目の年となる。