歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「市川市〇国分町」

今回発見したのは、事前調査もしていなかったので、特に探してみようと思っていた訳でもなく、歩いていたら、偶然見つけたという感じだった。

開拓地は新たな発見は難しいが、未開拓地であれば、このようにあまり苦労もせず、安易に見つかることもたまにはある。

市川市北国分

発見日  2025年9月27日

発見場所 千葉県市川市北国分

市川市北国分

発見日  2025年10月4日

発見場所 千葉県市川市北国分


文字が薄くなってしまっているが、確認できる。

市川市国分町

発見日  2025年10月4日

発見場所 千葉県市川市中国分

"国"の旧字体"國"がよかばい。

市川市国分町

発見日  2025年10月4日

発見場所 千葉県市川市国分

市川市国分町



それぞれ探せばもっとありそう(実際にあったが、人目があり、写真は撮らなかった。)だが、これで満足してしまった。

国分町もあれば探しに行こうと思ったのだが、調べてみると、元は北国分町などのようなので、チャレンジしないことにした。

尚、南国分、西国分は存在していない。

歴史

1869年(明治2年
葛飾葛飾郡国分村となる。

1871年明治4年
廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡国分村となる。

1873年明治6年
県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡国分村となる。

1889年(明治22年
東葛飾郡須和田村、曽谷村、稲越村、下貝塚村と合併し、東葛飾郡五常村大字国分となる。

1890年(明治23年)5月23日
五常村が国分村に村名を変更。東葛飾郡国分村大字国分となる。

1934年(昭和9年)11月3日
市川町、八幡町、中山町と合併、市制施行。市川市大字国分となる。

1951年(昭和26年)12月1日
市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市国分町北国分町、中国分町となる。

1966年(昭和41年)4月1日
国分町の一部で住居表示施行。

1971年(昭和46年)9月29日
国分町の残部で住居表示施行。市川市国分一丁目 - 八丁目となる。
北国分町の一部で住居表示施行。市川市北国分一丁目・二丁目となる。
国分町で住居表示施行。市川市中国分一丁目 - 五丁目となる。

1972年(昭和47年)2月1日
北国分町の一部で住居表示施行。市川市北国分一丁目 - 四丁目となる。

1973年(昭和48年)12月24日
曽谷町、北国分町の一部から東国分一丁目 - 三丁目を分離新設。