茨城県立竜ヶ崎第二高等学校の長い急階段

この位置にコンクリートの階段がつけられたのは1929年(昭和14年)のことらしい。
大正の頃、見晴らしのよい新校舎は乙女のあこがれだったらしい。
今の高校生はどうなのだろう?
上には、龍ヶ崎城の空堀や土塁があるらしいのだが、夏休み期間中であったが、わざわざこんな急階段を上って怪しまれるのもいやだと思い、上るのは断念。(本心はこんな暑い中汗をかいてまで上りたくなかった。)
階段の左側に「龍ケ峰の歩み」碑があったので、それを読んで行った気になる。

「北にあたりて古城あり」「東はかしまの海が見えて眺望かぎりなし」享保年間当地を訪れた藩主伊達吉宗は、ここ古城の地の東端、龍ケ峯からの眺めをこう絶賛した。
古城は、室町時代、白幡台(龍一高敷地)に館を構えた龍ケ崎氏の出城であった。永禄十一年(一五六八)土岐胤倫が江戸崎から分かれてここに城を築き、その支配二十年間に龍ケ崎は飛躍的発展を遂げたが、のち佐竹氏の支配に服し、廃城となった。その後、仙台領となり、古城西麓に陣屋がおかれ、代官が龍ケ崎領一万石余を支配した。
維新後、古城の昔を伝えるものは次第に姿を消したが、大正十二年。古城の地に、龍ケ崎二校の前身、県立龍ケ崎実科高等女学校が建てられ、龍ケ峯の新しい歴史がはじまった。
本校の歴史は、大正五年(一九一六)龍ケ崎小学校敷地内の町立龍ケ崎女子技芸学校の開校まで遡る。大正八年、町立実科高等女学校、大正十年、郡立に、大正十二年、古城の新校舎に移って、県立龍ケ崎実科高等女学校、大正十五年、県立龍ケ崎高等女学校と移っていく。やがて戦争の時代の入り、一時軍服を縫う学校工場になったこともあった。
終戦後、昭和二十三年、県立龍ケ崎女子高等学校となり。さらに、二十四年から、男女共学総合性の県立龍ケ崎第二高等学校として年々施設と教育内容を充実し、多くの優位な人材を世に送り、ここに創立七十周年を迎える。
龍ケ崎第二高創立七十周年記念実行委員会
学校の歴史を年表にすると、
1916年(大正5年)
龍ヶ崎町立龍ヶ崎女子技芸学校として創立。
1923年(大正12年)
茨城県に移管され、茨城県立龍ヶ崎実科高等女学校と改称。
1926年(大正15年)
茨城県立龍ヶ崎高等女学校と改称。
1948年(昭和23年)
学制改革により、茨城県立龍ヶ崎女子高等学校と改称。
1949年(昭和24年)
茨城県立龍ヶ崎第二高等学校と改称。普通科、商業科、家政科が設置される。
2025年は、創立110周年。
10月11日(土)に創立110周年記念式典が挙行されたそうだ。
撮影日 2025年8月4日(月)