最近、地方巡業が忙しくて、東京都内の旧町名は、あまり紹介していないが、都内の在庫もかなりあるので、少しずつ紹介していくことにしよう。ただ紹介するだけでは面白くないので、長年コレクションしてきた中から、テーマ化したものを厳選してお届けしていきたい。(これだけで終了、企画倒れの可能性も大いにありそうだが・・・。)
今回は「東京都大田区田園調布」からスペシャルな旧町名をお届けすることにしよう。
黄葉が始まっている田園調布駅西口のイチョウ並木



撮影日 2025年11月17日
高級住宅街なので、古いものが残っていないと思われるだろうが、分譲が開始されたのは1923年(大正12年)8月なので、戦前と思われるものがいくつか残っている。
出桁造りの商家
①栄屋小俣酒店

約100年前からこの地で商いを続けている酒店。
②以前はCacao Zokuというチョコレート屋だったようだが、看板がなくなっていた。

1階の店舗部分が改造されており、無残な姿になっているのが残念。
ビルの一角に防火用水が残っていた。


上に「ちきりや京染店」の看板が置かれていた。
ここはかつて「ちきりや」という和服の悉皆屋だったらしい。
かつてあった「ちきりや」のホームページより
繭や卵・貨幣などの重さを量る小さい秤をちきり(ちぎり)と言います。白生地である絹は、長さで値段が決まるのではなく重さで決まっていました。目の詰まっている重さのある絹ほど高級であるわけです。絹を扱うお店として屋号をちきりやとしたと聞いております。また私は三代目ですが、祖父の後藤柳次郎は兄と修業をしのれん分けをしてもらったとも聞いております。田園調布には昭和初期にお店を構えました。今の田園調布商店街の始まりからこの地で商売をさせていただいてます。当初坂の途中で仮店舗を構え、現在の場所に昭和16年にお店を建てました。祖父は京都に自分で出向き建物を研究したと良く話していました。宮大工に仕事を依頼して柱も京都から丸太を取り寄せて凝った建物になっています。
ストリートビューより 2009年頃の「ちきりや」。

2014年頃まで残っていたが、2015年3月には解体工事中で、2016年11月には新しい建物が建っていた。
画像を拡大してみたところ、左側に電力プレートらしいものが見えた。

貴重な「東京市大森區」時代の表札たち
①発見日 2020年8月10日

②発見日 2023年5月30日

③発見日 2025年11月17日

歴史
1889年(明治22年)5月1日
町村制が施行され、東京府荏原郡のうち現在の大田区のエリアでは以下の町村が誕生した。
大森村、入新井村、池上村、馬込村、調布村、羽田村、蒲田村、矢口村、六郷村
1897年(明治30年)7月20日
大森村が町制施行して大森町となる。
1907年(明治40年)10月8日
羽田村が町制施行して羽田町となる。
1919年(大正8年)8月1日
入新井村が町制施行して入新井町となる。
1922年(大正11年)10月10日
蒲田村が町制施行して蒲田町となる。
1923年(大正12年)8月
「田園都市多摩川台」の名称で現在の田園調布の地の分譲を開始。
1926年(大正15年)8月1日
池上村が町制施行して池上町となる。
1928年(昭和3年)1月1日
馬込村が町制施行して馬込町となる。
1928年(昭和3年)2月11日
矢口村が町制施行して矢口町となる。
1928年(昭和3年)4月1日
六郷村が町制施行して六郷町となる。
調布村が町制施行、北多摩郡調布町との重複を避けるために改称して東調布町となる。
1932年(昭和7年)10月1日
記町村が東京市に編入され、大森・入新井・池上・馬込・東調布の5町域をもって大森区が、羽田・蒲田・矢口・六郷の4町域をもって蒲田区がそれぞれ誕生した。
東京市大森区田園調布の成立。
東調布町の大字下沼部の大部分が田園調布一丁目 - 三丁目に、大字上沼部および大字下沼部の一部が田園調布四丁目となった。
1943年(昭和18年)7月1日
東京都制が施行され、大森区と蒲田区を含む東京市35区は東京都の区となった。
田園調布は東京都大森区田園調布となる。
1947年(昭和22年)3月15日
大森区と蒲田区が合併し、大田区が成立。
東京都大森区田園調布は大田区田園調布となる。
1960年(昭和35年)
地番を整理するとともに、田園調布一丁目 - 四丁目を田園調布一丁目 - 七丁目に編成替えした。
1970年(昭和45年)9月1日
住居表示制度施行に伴う町の境界地名の改正。
中原街道から北側の田園調布三丁目 - 七丁目が田園調布一丁目 - 五丁目になり、中原街道以南は田園調布二丁目を田園調布本町、田園調布一丁目を田園調布南とした。