歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

「武田薬品工業株式会社グローバル本社」周辺は江戸時代から薬種問屋の集積地だったみたい。

近くは何回か歩いたことはあるのだが、新しいビルにはあまり興味がないので、何のビルか知らなかったが、気になるものがビルの周りにあったので、どこのビルだ、と見てみたところ武田薬品のグローバル本社だった。

竣工は2018年3月20日、地下4階・地上24階建てで、4階より上のフロアが武田薬品のオフィスらしい。

ビルを確認する前に周辺にある説明板に引き寄せられていた。

これらがなかったら近代的なビルなんか撮らないし、記事も書かなかった。

薬種問屋の集積地・本町

所在地 中央区日本橋室町・日本橋本町地域
江戸時代初期から、日本橋の本町二・三丁目(現在の日本橋室町二・三丁目と日本橋本町二・三丁目)や大伝馬町周辺には、薬草や薬を扱う薬種問屋が軒を連ねていました。江戸城下町建設の際、目を病んだ人々にもてはやされた「五霊膏」を売り出して評判を得た益田氏や、 薬種問屋の草分けとされる鰯屋・小西屋などを筆頭に、多数の薬種問屋が集まりました。これらの薬種問屋らは仲間組合を結成し、独占販売を行いました。 
本町三丁目のあたりは「本草を道へならへる三丁目」「三丁目匂はぬ見世は三四軒」などと川柳に詠まれるように、薬の匂いが立ち込めるほどに薬種店や問屋が集まっていました。また、薬の差別化・宣伝のため、派手で趣向を凝らした看板が店外に飾られていました。文政七年(一八二四)の買い物案内書である『江戸買物独案内』によれば、本町三丁目には約四○軒、本町全体では六〇軒近くの薬種問屋が掲載されています。 
明治十七年(一八八四)、現在の公益社団法人東京薬事協会の前身となる薬種問屋組合が、日本橋を中心とする東京の薬種間屋六二名により設立されました。大正十一年(一九二二)の組合員名簿には一三六軒の事業者が名前を連ねており、 そのうち一○六軒が本町や本石町など現在の中央区域に事業所を持つ事業者でした。
明治四十一年(一九〇八)には上野の五條天神社から薬祖神の御霊を迎えて大祭が執行され、昭和四年(一九二九)には薬事協会事務所の屋上に薬祖神社が造営されました。平成二十八年(二〇一六)、日本橋室町二丁目の福徳の森に社殿は移りましたが、現在も毎年十月に薬祖神祭は行われており、多くの人々で賑わっています。
日本橋本町周辺は、現在も多くの製薬会社の本社ビルが立ち並び、江戸時代以来続く薬のまちの面影を色濃く残しています。

令和四年三月

『東都本町弐丁目ノ景』歌川国輝画(中央区立郷土天文館所蔵)

江戸屈指の目抜き通りだった本町通り。多くの商家が連ねる中、右手に式亭三馬が始めた化粧水「江戸の水」を商う店舗「式亭正舗」が描かれている。

式亭三馬は、江戸時代後期の地本作家で薬屋、浮世絵師。

※式亭正舗は、文化8年(1811年)閏(うるう)2月25日、本町二丁目(現中央区日本橋本石町)に開店した店。

※江戸の水は、白粉がよくのるという化粧水で、ガラス瓶に詰め、化粧箱に入れられて48文、大瓶は200文、娘たちの間で大ヒットしたらしい。その化粧箱は埼玉県越谷市でで製造された桐の小箱だったそうだ。

右下に犬が描かれている。

江戸時代の犬は、個人で飼われているのは少なく、都市の場合、多くは町で飼われた「町犬」だそう。

本町薬品問屋発祥の町

『江戸名所圖會』「本町薬種店」

いわしや市左衛門店(現株式会社サクラグローバルホールディング株式会社)
"いわしや"はサクラグループの関連会社「株式会社いわしやサクラ」に社名が残されている。

描かれている薬。
 調痢丸:腹下し等胃腸回りの疾患に効く
 錦袋子:中国明から渡来した毒消し
 白龍香:切り傷に効用

ビルの裏側にも説明板があったが、これは気が付きにくい。

この土地の歴史

江戸本町界隈は古くは寛永年間 (1624-1644) より大阪道修町、 京二条と同じく薬種商の集合した町で薬種問屋の中心街であったと云われる。

武田薬品工業株式会社グローバル本社」が建つ前は3つのビルがあったようだ。

タケダ本町ビル

ヤマト科学ビル

東京薬業会館

昭和7年ごろ

昭和20年ごろ

平成13年ごろ

探索したことがあるところでも、このように見過ごしていたものもある。

ただ書かれていることを読むだけで終わりにしないで、浮世絵に描かれているものを調べてみると、説明板に書かれていないことを知ることが出来て、また世界が少し広がる、ような気がする。

撮影日  2025年11月15日

撮影場所 東京都中央区日本橋本町二丁目付近