歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「南多摩郡多摩町連光寺」

多摩市は多摩丘陵の中にあるので、結構アップダウンが激しく、健脚向けの自治体のひとつだ。

次の目的地までに移動するのも一苦労だ。

多摩市時代の町名地番変更前のものは連光寺以外の町域でも結構残っていて、何枚か撮ってはいるが、珍しくないので、割愛することにした。

流石に南多摩郡多摩町時代のものは、それ程残っていないので、今回はそれら、それらと言うほどほど多くはないが、紹介することにしよう。

"摩"の略字で广の中にカタカナの「マ」を書くことは知っているが、"摩"の中の字がすべて省略されて「广」だけになっている。これでもわかるにはわかるが、省略し過ぎ感がある。

家に帰ってから気が付いた。これの近くに見落としているものがあった。また行くことになりそう・・・、トホホ。

谷戸公園にある連光寺町名由来碑

撮影日  2025年12月8日

撮影場所 東京都多摩市連光寺5丁目17

明治22年頃の字名と現在の連光寺

連光寺」の町名は吾妻鏡に記されておりかつて「蓮光寺」と書かれていました。町名の由来は新編武蔵風土記稿には同名の寺院があったことに由来するとされ「小名下屋敷の辺りなる坂を寺坂と称するは、恐らくは此辺その旧跡なるべしといへり」とありますが確かなことは不明です。また、寺坂や仏道などの小名が高西寺の近くにありました。連光寺一丁目の旧字向ノ岡は万葉の昔から歌に詠まれており、対鷗荘跡の近くに小野小町歌碑が建っています。連光寺五丁目の旧字山ノ越には聖蹟記念館があり、明治天皇が兎狩りや鮎漁(あゆりょう)に行幸されたことを記念して昭和五年に大松山に建設されました。昭和十二年には京王線の関戸駅も聖蹟桜ヶ丘駅に改名されました。
なお、この彫刻は、連光寺の丘を駆けめぐる兎をテーマにしたものです。

平成六年三月 多摩市

御兎狩想像之図



歴史

連光寺村は4つの集落から成っていた。中心は本村と呼ばれ、連光寺村のほぼ中央部にあり、村内で最大の集落であった。本村のほか、馬引沢、舟郷、下河原の3つの集落があって、それぞれ自立した事実上の村落であったが、行政上は富澤家が名主を務める連光寺村に包括されていた。

1868年(明治元年
武蔵県知事の管轄となる。

1868年(明治元年)8月17日(旧暦6月29日)
韮山県の管轄となり、韮山多摩郡蓮光寺村村となる。

1871年明治4年)旧暦11月
神奈川県の管轄となり、神奈川県多摩郡蓮光寺村となる。

1878年明治11年)7月22日
郡区町村制施行。神奈川県多摩郡蓮光寺村となる。

1878年明治11年)11月18日
多摩郡が、東多摩郡西多摩郡南多摩郡北多摩郡に分離し、神奈川県南多摩郡蓮光寺村となる。

1889年(明治22年)4月1日
一ノ宮村、落合村貝取村、乞田村、関戸村、東寺方村、和田村、及び落川飛地、百草村飛地と合併し、南多摩郡多摩村大字連光寺となる。

1893年明治26年)4月1日
神奈川県のうち、東多摩郡西多摩郡南多摩郡北多摩郡東京府編入東京府南多摩郡多摩村大字連光寺となる。

1943年(昭和18年)7月1日
東京都制により、東京都南多摩郡多摩村大字連光寺となる。

1955年(昭和30年)
連光寺北部多摩川内の小字、下川原、中島が府中市編入

1964年(昭和39年)4月1日
町制施行により、多摩町大字連光寺となる。

1971年(昭和46年)4月1日
市制施行により、多摩市連光寺となる。

地名の由来(参照 多摩市ホームページより)

昔、同名の寺院「蓮光寺」があったと推定されていて、ここから来たと考えられているが、推測程度なので、詳細は不明。

発見日  2025年12月4日

発見場所 東京都多摩市連光寺