2025年9月15日、岩瀬公民館前のグラウンド横を歩いていると、説明板らしきものが見えた。

こういうのがあると、なんて書いてあるのか見たくなる。
早生田(早稲田)堀の由来と「ハナミズキ街道」

太平洋戦争中、政府は食糧増産として昭和十八年から全国一斉に土地改良工事を奨励しました。岩瀬村においても昭和十八年十月五日、野本治兵衛氏ら七名を代表者として、岩瀬村の耕地整理実施調査及び工事監督補助について知事に申請し、同年十一月二十日組合の設立について県の認可を受けました。昭和十九年二月十日、創立総会を岩松寺で開き事業が始められました。
当時は太平洋戦争の最中で、男子の多くは戦線につき、女子は農事に励み人手はなく、物資は極めて不足し大変苦労をしました。昭和十九年には全学徒が生産戦列へつき、二千万学徒の総力を戦力増強の一点に集中し、非常任務に即応できる体制づくりが岡部文部大臣から明示されました。昭和十九年三月七日、早稲田大学の学生一〇〇人が食糧増産としての耕地整理事業の勤労奉仕団として来村、その晩は三月には珍しい大雪でしたが、学生団は休む間もなく八日から雪をかたづけながら耕地の中央排水路の開整作業に着手しました。十日間で東武鉄道をくぐって岩瀬落堀に合流する地点までの工事を完成しました。当時は機械といえばトロッコぐらいで、学生はエンビを持ち、モッコをかついでの慣れない仕事、どんなにか大変であったろうと思います。角帽をかぶっての大学生の仕事姿、今では想像もできないことです。今は、着る物も、食べ物も豊かで何の不足もない時代です。しかし、この様な時代もあったという事実を知るのも大事な事かと思います。
やがて、村人達は誰いうとなく、この排水路を「わせだ堀」と呼ぶようになりました。JAほくさい農協岩瀬支店の南側に耕地整理竣工記念碑(早稲田大学総長島田孝一書)が建つておりますが先人の苦労と共に懐かしく偲ばれます。戦争とか、戦時中の生活について思いを致すとき、感慨深いものが「わせだ堀」にあります。この早生田堀河畔に「羽生市地域おこし事業交付金」を活用してアメリカハナミズキを植樹し、地域の歴史を後世に伝えると共に、「美しいふる里」「平和な明るい社会」のために地域の活性化を願うもので
平成九年十二月吉日
岩瀬地域おこしの会
※JAほくさい農協岩瀬支店は、2005年(平成17年1月11日)羽生中央支店に統合されている。
岩瀬公民館前のグラウンドの大きなイチョウの木の下に石碑が3基並んでいた。

一番右にある石碑が上の説明板に書かれている「耕地整理竣工記念碑」だった。

裏面

ネットで調べた限り、何と書いてあるか調べた方はいないようなので、分かる範囲で解読してみよう。
岩瀬村耕地整理概要
創立総会 昭和十九年二月十日
工事着手 仝 年三月八日
工事完成 昭和二十六年五月三十日
換地総会 仝 年五月
換地認可 仝 年六月十九日
登記完了 昭和二十七年三月三十日
解散届 仝 年八月三日
竣工祝 昭和二十八年五月三日
建碑
整理地籍 三百八十五町三反
総経費 七百二十二 余
読み取れない文字もいくつかあった。
岩瀬村と書かれていたので、岩瀬村の歴史を調べてみた。
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、上岩瀬村、中岩瀬村、下岩瀬村、桑崎村、小松村が合併し北埼玉郡岩瀬村が成立する。
1954年(昭和29年)9月1日
羽生町、新郷村、須影村、川俣村、井泉村、手子林村と合併し羽生市となる。
岩瀬公民館の敷地内には岩瀬村の道路元標があるのだが、それについては、別の記事で書く予定にしている。羽生市の対応に些か憤りを感じているので、その件も併せていずれ。