多摩市時代の町名地番変更前のものは、連光寺以外の町域でも結構残っている。珍しくないので一度は割愛しようと思ったが、よく見ると「小字(こあざ)」が書かれている。やはり記録として記事にしておくことにした。
多摩市連光寺付近の探索を計画していた際、今昔マップを見ていて「船ヶ台」の名が目に留まった。現存しているのか、この目で確かめるべく現地へと向かう。
稲城長沼駅から探索を開始し、あちこちを経由してようやくここまで辿り着いたが、道中はなかなかのハードモードだった。平坦な道は少なく、だらだらと長い坂や急坂の上り下りが続く。多摩丘陵地帯の探索は、夏場なら間違いなく「無理ゲー」だ。この日はそれほど冷え込まなかったこともあり、歩いているうちに汗が噴き出し、かなり体力を消耗してしまった。
ようやく目的地に辿り着いたと思ったら、ここもまた坂を上らなければならない場所だった。
ヒェー、また上るのか。
ふぅ、と一息ついてから探索を開始する。
すると、意外にもすぐに見つかった。
よかった。
ひとまず目標達成だ。
発見日 2025年12月6日
発見場所 東京都多摩市連光寺

かなり薄くなってはいるが、判読はできる。
激坂のあとでもこれを見落とさないあたり、自分の執念……もとい、探索のセンスを自賛したくなる。
経年劣化の個体差が激しいのが気になる。文字が鮮明なものと、このように消えかけているもの。使われているインクの質の差なのだろうか。
ちなみに、この「船ヶ台」という地名。気になって調べてみると、興味深い由来に突き当たった。
かつてこの高台からは、遠く東京湾(江戸湾)を行き交う船の帆が見えたことからその名がついた、という説があるらしい。
今となっては建物に遮られ、ここから海を望むことは叶わない。しかし、先ほどから自分を苦しめているこの「急坂」こそが、かつて海を見渡せたほどの標高があった証なのだと思うと、足の重さも少しだけ感慨深く感じられる。
近くには「船ヶ台公園」という小さな公園もあるが、ここもまた上下二段に分かれた構造になっていた。どこへ行くにも坂の上り下りを強いられるこの界隈は、まさに地名が体現されたような場所だった。
船ヶ台公園

歴史
連光寺村は4つの集落から成っていた。中心は本村と呼ばれ、連光寺村のほぼ中央部にあり、村内で最大の集落であった。本村のほか、馬引沢、舟郷、下河原の3つの集落があって、それぞれ自立した事実上の村落であったが、行政上は富澤家が名主を務める連光寺村に包括されていた。
1868年(明治元年)
武蔵県知事の管轄となる。
1868年(明治元年)8月17日(旧暦6月29日)
韮山県の管轄となり、韮山県多摩郡蓮光寺村村となる。
1871年(明治4年)旧暦11月
神奈川県の管轄となり、神奈川県多摩郡蓮光寺村となる。
1878年(明治11年)7月22日
郡区町村制施行。神奈川県多摩郡蓮光寺村となる。
1878年(明治11年)11月18日
多摩郡が、東多摩郡、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡に分離し、神奈川県南多摩郡蓮光寺村となる。
1889年(明治22年)4月1日
一ノ宮村、落合村、貝取村、乞田村、関戸村、東寺方村、和田村、及び落川村飛地、百草村飛地と合併し、南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
1893年(明治26年)4月1日
神奈川県のうち、東多摩郡、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に編入。東京府南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
1943年(昭和18年)7月1日
東京都制により、東京都南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
1955年(昭和30年)
連光寺北部多摩川内の小字、下川原、中島が府中市に編入。
1964年(昭和39年)4月1日
町制施行により、多摩町大字連光寺となる。
1971年(昭和46年)4月1日
市制施行により、多摩市連光寺となる。