1. 2026年2月、新倉での邂逅
当ブログではこれまで、各地の電柱や門柱にひっそりと残る「電力プレート」を記録してきた。 2026年2月、和光市の新倉エリアを探索中、ある民家の門柱に設置された一枚のプレートが目に留まった。各地を歩き、こうしたプレートを一つひとつ観察してきた経験から、ここ和光市でそれと対面した瞬間、その「希少さ」を直感した。
2. 和光市内における「唯一の証言者」
各地で調査を続けてきたが、和光市内でこのタイプのプレートを目にしたのは、これが初めてである。 都市開発と住居表示の整備が急速に進んだ和光市において、この手の遺物は多くが姿を消した。現状、市内で現存を確認できているのは、知る限りこの「新倉の一枚」だけだ。地道な探索を続けてきた中でも、和光市内でのこの出会いは、極めて稀な生存例と言える。
3. 観察レポート:門柱の「ニイクラ」プレート
このプレートは、長年の風雨に耐えてきた無駄のない実用的な仕様を備えている。

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上部: 旧・東京電力のロゴマーク。
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中央: カタカナで「ニイクラ」の刻印。その横には地点を特定するための番号が並ぶ。
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下部: かつての管轄営業所である「所沢」の文字。
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状態: 表面には経年による白錆が浮いているが、深く打ち込まれた刻印は、今なおその内容をはっきりと読み取ることができる。数十年にわたり、この地点を特定し続けてきた重みが伝わってくる。
4. 都市形成期を支えた「街の化石」
和光市が「大和町」と呼ばれていた頃から、1970年の市制施行を経て現在に至るまで、この街は急速な変遷を遂げてきた。 住居表示が未整備だった時代、正確な供給地点を示すための「物理的なインデックス」として機能したこのプレートは、インフラ管理の最前線にいた。新倉の門柱に残されたこの一枚は、和光市の都市形成期を足元から支え続けてきた、まさに「街の化石」と呼ぶにふさわしい貴重な一次資料である。
おわりに
実は、かつて2023年3月の下記の記事において、「画標(がひょう)」という言葉を記したことがあった。
当時はその存在をある程度は認識していたものの、詳細な歴史や制度の深部まで踏み込むことはなかった。
今回、新倉でこのプレートに出会い、その記録を整理する過程でAIと対話を重ねるうちに、事態は変わった。AIから投げかけられる問いに応じようとする中で、この標識の裏側にある「画標」というシステムの正体を、より深く、正確に突き止めたいという欲求に駆られたのだ。
次回は、この「画標」という言葉をさらに深掘りし、インフラ管理の歴史、そしてアナログからデジタルへと移行する過渡期の知恵について、詳細な調査レポートをまとめる予定だ。