2026年2月14日。赤坂の街を歩いていて、ふと足を止めた。 地下横断歩道の入口に設置された案内板。そこに記された文字が、妙に強く意識に残ったからだ。

地下道入口の案内標識。現行町名「赤坂2丁目」の右側に、かっこ書きで「福吉町」と添えられている
現在の町名のすぐ隣に、当たり前のような顔をして旧町名が添えられている。視界の端に一度その名が入ると、不思議なもので、続く出口への案内や地上へと導く誘導サインにも、同じ「福吉町」の文字が刻まれているのが見えてきた。


出口付近の案内や誘導サイン。歩みを進めるごとに、その名は繰り返し現れる。
都内の旧町名を求めて、これまでほとんどの区を歩き回ってきた。神田や浅草、本郷といった歴史ある地域でも、数々の痕跡を目にしてきた。しかし、それらの多くは「かつてここはこの町だった」と振り返るための、いわば歴史解説や記念碑的なものに過ぎなかった。
だが、この赤坂福吉町はどうだろう。 これが商店の軒先に残る古い看板ならまだ分かる。しかし、ここで旧町名を主張しているのは、行政が管理する「公的な案内板」なのだ。
本来、正確な現行住所だけを載せるはずの公的な誘導サインにおいて、旧町名がこれほどの実用的なサイズで、しかも現役のナビゲーションとして添えられている例を、他にあまり記憶していない。見落としがあるかもしれないが、少なくともこれほど一貫した併記を目の当たりにするのは、極めて稀なことだと思う。
地下道の入口から出口付近、そして地上。要所でのこの一貫した表記は、この街において「福吉町」という名が今も欠かせないピースであることを物語っている。かつて自分のブログで取り上げた、あの電力プレートに込められた熱量が、今もこの場所を動かす現役の力として働いているのだ。

昭和31年の地図。当時の「赤坂福吉町」の広がりが確認できる。
地上に出れば、町会だよりの表題からビルの名前に至るまで、「福吉」の名は呼吸をするように当たり前に存在している。


ビル名、町会だより。地上でも「福吉」は現役の言葉だ。
半世紀以上の時を経てなお、公的な案内板が新しく更新される際にもこの名を刻ませる。そこにあるのは、街の記憶を過去のものとしない、住民たちの並々ならぬ自負だ。
これまで幾度となく通り過ぎてきたはずの景色。
それなのに今日、その存在をあらためて意識できたのは、私の旧町名感度が少し上がったからだろうか。
何度もこの道を歩き、少しずつ街の解像度を上げてきた。その時間の積み重ねがあったからこそ、街がずっと発していた「目に見えない声」を、今日この瞬間にようやく受け取ることができたのだと思う。
いつもと同じ景色の中に、単なる記録を超えて、今を歩く人を導き続ける「町の誇り」が隠れていた。
そんな、歩くたびに深まっていく街との距離感が、何より心に残る一日だった。