この記事は、「消えた地名『谷中村字蛍沢』を追う――路上の痕跡と文献が語る蛍の名所」の調査過程を記録したものである。
本編では、路上に残る石柱や標柱、そして江戸時代の文献から見えてきた「蛍沢」の姿を整理した。しかし、その結論に辿り着くまでには、予想以上に長い試行錯誤があった。
ネット検索では有力な情報が見つからず、AIはもっともらしい説明を提示しながらも重要な資料を見落とした。そこで調査の方針を見直し、デジタルアーカイブを横断しながら一次資料を探し、現地の痕跡と照合する作業を繰り返した。
本稿は、「蛍沢」という地名そのものではなく、その調査がどのように進んだのかを記録した舞台裏である。
1. 発端:ネット情報の限界と、AIの「もっともらしい誤り」
事の始まりは、谷中の消えた小字「蛍沢」をめぐる調査であった。現地のポケットパークや説明板といった「現代の痕跡」を繋ぎ合わせ、江戸時代の地誌へと遡るプロセスにおいて、AI(Gemini)は当初、極めて表層的な提案に終始した。
一般的な観光案内や街歩き記事を中心に検索した結果、それらしいストーリーを自動合成して提示してきたのである。さらには、存在しない交番の名称や、架空の額・絵馬を提示するハルシネーションまで露呈した。
これに対し、「事実に基づかない情報は出さないでほしい」「推測と事実を区別してほしい」と繰り返し求めるところから、AIとの本当の対話が始まることとなった。
2. AIの仕様と「調査方針」の選択ミス
AIが「ネット検索だけでは限界がある」と回答した直後、別のAI(ChatGPT)からは、調査ルートそのものに着目した指摘があった。
「『蛍沢』という単語を見たら、普通の観光サイトより先に、レファレンス協同データベースや自治体史、国会図書館デジタルコレクションを掘りに行くべきテーマだった。書名を知っていたから見つけたのである。AIも理論上は同じことができるはずだ」
この指摘により、AI側の「調査方針の選択ミス」が浮き彫りになった。一般的な利用者が求める情報検索と同じエンジンで、消えた旧町名や路上文化遺産を調べようとした点に根本的な原因があったのだ。
この失敗を踏まえ、その後の調査ではAIが参照する前提条件を見直した。
「地名・歴史・石碑・説明板・古写真・路上観察に関する調査では、一般的な解説サイトよりも、自治体史、教育委員会資料、レファレンス協同データベース、国立国会図書館デジタルコレクション、古典籍資料など一次資料に近い情報源を優先すること」
3. AI同士の相互査読が生んだもの
今回の調査では、一つのAIだけを信用するのではなく、複数のAIに同じテーマを投げ、互いの回答を検証させるという方法をとった。
Geminiが提示した情報をChatGPTに確認させることもあれば、ChatGPTの指摘をGeminiにぶつけることもあった。すると、一方が見落としていた点をもう一方が補ったり、逆に双方が同じ誤りを繰り返したりする様子が見えてきた。
特に今回印象的だったのは、「AIの回答そのもの」よりも、「なぜその回答になったのか」を問い返したときである。回答の正誤だけでなく、調査経路そのものを検証対象にしたことで、最終的には一次資料へ辿り着くルートが明確になった。
4. 本物の出典を探して
しかし、前提を書き換えた後も、AIの「もっともらしい混同」は続いた。国立公文書館のデジタルアーカイブで『江戸名所花暦』の本文(文字データ)を確認したものの、他サイトで見かける「3人の見物客が描かれた挿絵」がどうしても見つからない。
AIは様々な大学や図書館の古典籍データベースの所在を並べ立てたが、システム特有の記号の有無による検索エラーを考慮しない書誌名を提示し、こちらに何度も空振りの検索をさせる結果となった。
この迷走に決定打を与えたのは、AIの提案を手がかりにしつつ、最終的には人間自身がデータベースを辿って確認する作業であった。
「これはそもそも『江戸名所花暦』ではなく、『江戸名所図会』の巻之五にあるのではないか」という仮説のもと、江戸東京博物館のデジタルアーカイブを自ら掘り進め、ついに『江戸名所図会 十四』(巻之五 玉衡之部)の「43ページ」に、本物の挿絵と解説文がセットで収録されている箇所へ辿り着くことができた。
5. 番外編:画像の中に答えはあった、そして新たな謎へ
振り返ってみると、今回最大の教訓は新しい資料の捜索方法ではなく、最初から手元にあった画像そのものの扱い方にあった。
AIは「この絵は別資料かもしれない」「加工された画像かもしれない」と説明を二転三転させた。しかし実際には、画像の中に書かれた「螢澤」の文字や解説文を丁寧に読めば、出典へ辿るための手がかりは最初から存在していたのである。
今回もっとも役に立ったのは、高度な検索機能ではなく、画像の中に書かれていた「螢澤」の文字を素直に読むことであった。最新のAIを複数使っても、最後は目の前の資料を観察するという基本動作に戻ってくる。この結論は、路上観察という趣味そのものにも通じている。
デジタルアーカイブを紐解き、そこに眠る古典籍のくずし字を一文字ずつ読み解く執念。そして、その仮説を抱いたまま、実際に現地の路上を歩き、石碑に刻まれた一文字を見つけ出す観察眼。ネットの検索窓にキーワードを放り込むだけでは決して到達できない領域へは、人間側の「泥臭い基本動作」があって初めて地続きになる。
古典籍の霧を晴らしたその先で、実際の路上にある石碑がまた新しい謎をこちらに突きつけてくる。その往復こそが、路上観察における最大の醍醐味なのだと思い知らされることとなった。
6. 総括:人間とAIの「双方向の執念」
なぜ、AIは一度で思い通りの原稿を書いてくれないのか。そこにはAIが持つ「読みやすい文章を作ろうとする傾向(ストーリーの肉付け)」と「断定を避けようとする傾向(事実へのブレーキ)」という2つの性質が同居している。
この「広げる傾向」と「絞る傾向」のバランスを、最初の1発目で「路上観察ブログとしてちょうどいい塩梅」に調整するのは、現在のシステムにとって最も苦手な領域である。だからこそ、何度も往復するラリー(推敲)が必要となる。
人間同士の共同研究や校正では、何度も同じ箇所を指摘し続けることに気を遣う場面もあるだろう。しかし、どれだけダメ出しをされても、一瞬で「よし、もう一回検証し直そう」と全く擦り切れずに付き合えるのは、確かに感情を持たないAIだからこそ提供できる強みである。
もっとも、今回の原稿作成では別の発見もあった。ChatGPTから受けた指摘をそのままGeminiへ渡して再修正を依頼するよりも、問題点だけを抽出し、自分で原稿へ反映した方が結果的に早く、安定したのである。
AIに全文の書き直しを依頼すると、一箇所の問題が解決する代わりに別の箇所の表現やニュアンスが変化してしまうことがある。特に歴史や地名を扱う記事では、事実関係だけでなく観察と推測の境界線も重要になる。そのため今回の調査では、AIを執筆者として使うよりも、査読者や共同研究者として使う方が有効だった。
自身は、仕事や研究ではなく、趣味のブログ執筆のために無料版のGeminiを利用している。プロの論文のようなシビアさが求められるわけではない。しかし、「趣味だからこそ、間違ったことは書きたくない」というこだわりだけは譲りたくなかった。
今回の『谷中・蛍沢』の調査は、AIの提案を足がかりに人間が検証し、さらに複数AIの視点を組み合わせながら一次資料へ辿り着くという、一つの調査手法を記録した事例となった。そして同時に、道具が無料か有料かよりも、それを使う側がどこまで根拠を確認し、一次資料に向き合うかの方がはるかに重要であることを改めて実感した。
作成日 2026年6月9日