歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

恵比寿駅~四反町架道橋と四反道跨線人道橋~渋谷駅

訪問日  2023年1月10日、24日  

 

探索中に気になるものを撮っているだけで鉄道マニアという程ではない。

 

恵比寿駅付近に設置されている看板

国鉄が設置したものとは思えない手書きのもの

 

比丘橋西交差点のところにある架道橋

 

旧町名と思われる「四反町(よんたんまち)」に反応してしまった。

 

四反町ガード

 

四反町架道橋

 

プレートが設置されているのだが、配管に隠れて全体が見えない。

ところどころ確認できないところがあるが下記の文字が確認できた。

四反町○澤線
道路    竣成
  ○年 一月
澁○町

右書きなので戦前の物だろうか?

 

歴史

1889(明治22)年5月1日
東京府南豊島郡渋谷村大字下渋谷字四反町となる。

1896(明治29)年4月1日
東京府豊多摩郡渋谷村大字渋谷下渋谷字四反町となる。

1909(明治42)年1月1日
東京府豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字四反町となる。

1928(昭和3)年1月1日
帝都復興計画の一環により、東京府豊多摩郡渋谷町大字中通一丁目、大字下通四丁目、大字丹後町、大字公会堂通に編入となり消滅。

 

鉄道遺産と呼べるものかわからないが、近いうちに無くなってしまうので、そういう扱いとしておこう。

 

訪問場所 東京都渋谷区恵比寿西二丁目、渋谷区東二丁目

 

線路沿いを歩いていたら、工事の案内が設置されていた。

めったに利用することはない人道橋だ。

 

架替え工事が行われるようだ。

四反道跨線人道橋(したんどうこせんじんどうきょう)は、渋谷駅から恵比寿駅方面に約1キロメートルの場所に位置し(渋谷区東二丁目26番~恵比寿西二丁目6番)、JR山手線と埼京線を跨ぐ歩道橋。
昭和41年(1966年)の開通から56年が経過し、老朽化しているため、架替え工事を令和4年8月頃より実施しているそうだ。

現在の橋を補強するより、新設する方がメリットがあるのだろうか?

最初の予定では2021年末から工事、2022年4年度末の完成予定とのことのようだったようだが、コロナで工事が遅れたのだろうか?

 

明治通り側にあったもの

代官山町側にあったものと内容が違うが、同じ日に撮っていないので、代官山町側もあるのかもしれない。

 

四反道跨線人道橋の一部通行止めについて

明治通り側のスロープが通行止めになるようだが、この図ではう回先が示されていない。
不親切だと思うが、地元の方は分かるのだろうか?

 

橋の上からは都営渋谷東二丁目第2アパートが見える。

新しい橋が架けられると、このような写真は撮れなくなる。

 

明治通り

おじさんが階段の真ん中付近で電車の写真を撮っていた。

 

人道橋脇でロールスロイスが信号待ちをしていた。

 

ネットを調べてみるとこの人道橋からしか撮れないような鉄道写真があるらしい。

湘南新宿ラインが来たので、橋の上から撮ってみた。

ビルの間から出てきたように見える。

でもこれは誰でも撮れる。

新しい橋では撮れないようなものがあるのかはマニアではないのでわからない。

 

一番前の車両に乗り、車掌室の窓越しに写真を撮ってみよう。

 

渋谷から恵比寿へ向かう途中(湘南新宿ライン

橋の上に人が見える。

 

恵比寿から渋谷へ向かう途中(山手線)

湘南新宿ラインに乗った方が中央寄りでよかったかも。


この人道橋はドラマなどのロケ地としても利用されているらしい。

最近のドラマでは「親愛なる僕へ殺意をこめて」でサイに拉致された京香を救うためエイジがアタッシュケース片手に現場へ向かう現場のロケ地になったそう。

ドラマは見ていたが気が付かず。

 

現在はベビーカーや自転車を押して渡れるようだが、新しい人道橋はどうなるのだろう?

工事概要に完成イメージが載っていた。

エレベーターはあるが、スロープはなく、階段だけのようなので押しては渡れないようだ。

 

ライトアップもされるようだが、「BE KOBE」って何?

調べたところ神戸市に設置されているものらしい。

上の写真の「SHIBUYA」がライトアップされるのだろうか?

それならば、「SHIBUYA」にすればよかったと思うのだが、よくわからない。

 

手すりも設置されるようだ。

人物の絵が雑に感じる。

 

更に渋谷駅方面に向かったところにあった「お知らせ」

意味が分からない落書きがあった。

下の地図には人道橋は載っていなかった。

 

この辺りは再開発が進行中だ。

渋谷駅桜丘口地区第一種市街地再開発事業 外観イメージ(西側から)

〈外観イメージ(西側から)〉

 左からA-1棟、A-2棟、B棟、C棟(右下)

今年2023年11月に竣工予定らしい。

白ばら掲示板

今回紹介するものはさいたま市南区別所を探索しているときに発見したもの。

ただの掲示板だが、今まで白ばら掲示板というものを見たことがない。

 

発見日 2023年1月12日

 

浦和市選挙管理委員会浦和市明るい選挙推進協議会と書かれている。

和白ばら会は現存していないようだ。

調べてみたところ、他の自治体では、〇〇白ばら会が活動しているところがあった。

 

薄く落書きされており、何も貼られていないが、選挙の時は何か貼られるのだろうか?

 

薄くなってしまっているが白ばら掲示板の文字の上に白ばらの絵がある。

明るく正しい選挙を進めましょう | 北海道伊達市
白ばらは明るい選挙のシンボルになっているらしい。
この白ばらが明るい選挙のシンボルとして、いつ頃使われたか明らかではないが、明治時代に原敬や犬飼毅などの国会議員が胸に白ばらをつけて登院したといわれている。
戦後になって、昭和30年11月15日の普通選挙30周年・婦人参政10周年記念祝典のシンボルに使用された。
以来、各地で候補者に白ばらを贈呈したり、その他明るい選挙の象徴としてこの花が用いられることが多くなり、白ばらのもつ清楚な感じが明るい選挙の目標の一つである”清潔さ”を象徴するものとして現在では一般に広く使われている。

というようなことがいくつかの自治体のホームページに書かれていた。

街区表示板 浦和市大字 PartⅡ

以前、下記の記事で浦和市大字の街区表示板を紹介したことがある。

citywalk2020.hatenablog.com

 

調べていたところ、まだ存在していることが分かったので、2023年1月26日、さいたま市内を自転車で走り回り、探してきた。

思ったよりアップダウンが多かったのだが、電動だったので、坂道もラクラクだった。

でも、5時間くらい乗っていたので、お尻が痛くなった。

 

さいたま市桜区

浦和市大字神田

 

さいたま市南区

浦和市大字円正寺

以前これを探しにすぐ近くまで来ていたのだが、その時は発見できなかった。

右側に坂道があるのだが、そこから降りてきて、たぶんこの電柱の右側面付近は見ていたはずだが、こちら側に付いていたとは。

 

 

さいたま市緑区

浦和市大字大崎

 

浦和市大字大門

 

浦和市大字南部領辻

 

浦和市大字代山

④~⑥は日光御成街道沿いにある。以前紹介した"中野田"もそうだ。

"浦和市大字"の宝庫と言っていいだろう。

この道を「浦和市大字ロード」と呼ぶことにしよう。

 

番外編

 

緑区大字三室

ようやく見つけたのだが、ゆずの木だろうか、外まで伸びいて全体が撮れない。

しばらく悪戦苦闘していると、足音と共に後から声が。

「どうしたんですか?」

ドキッ!

この家の方だった。

「この表示板を撮らせていただいていました。」

と言うと、木を押さえてくれた。

それで撮ったのが下の写真。

感謝を言って立ち去る。

絶対怪しい奴にしか見えない行動をしていたが、親切な方でよかった。

旧町名&たばこ販売店 東京都台東区谷中初音町一丁目

谷中初音町については、つい先日(2023年1月22日)、下記の記事で紹介した。

citywalk2020.hatenablog.com

 

上記記事を書くにあたって谷中初音町について調べていたところ、旧町名由来案内が四丁目以外のものもあることが分った。

写真を撮っていたはずだと思い、フォルダーを探してみたが見つからなかった。
記憶違いか?
いつもあてにならない記憶だ。

仕方ない。

旧町名由来案内がどこに設置されているのか探そう。

ストリートビューを駆使し、場所を特定することができた。

よく歩いていたところだったが、本当に撮っていなかったのかなあ。

まあ、いいや。

撮りに行くか。

急ぐ必要など全然ないのだが、善は急げ、思ったら吉日、忘れる前に行こう。

 

寒い!

風が冷たい!

この日(2023年1月25日)は今季最強の寒波ということで、東京の最低気温-2℃、最高気温3℃の予想だ。
晴れた日に最高気温が5℃未満となるのは2018年1月25日以来、5年ぶりだそうだ。

 

こんな特に寒い日にわざわざ探索するなんて考えられない、別な日にすればよかったかな、異常な行為だよねと思いつつ、寒さに震えながら歩いていると、喜ばしいことがあった。

電力プレートに続いて新しい発見があったのだ。

 

発見日  2023年1月25日

発見場所 東京都台東区谷中六丁目

 

歩道を歩いていると自動販売機の裏に赤いたばこ販売店琺瑯看板が見えた。

店の奥を見るとおばさんが座っていて店番をしていた。

声をかけて撮らせてもらおうと思ったが、それができず、おばさんからの死角と思われるところから撮った。

そのため全体は撮れなかったが、肝心なところが撮れたので良しとしよう。

「谷中初音町一」までしか見えないが、旧町名であることが分かるので問題ない。

 

この店の前の歩道は何度歩いたことか。

でも今まで気が付かなかったのだ。

この調子だと今まで探索したところでも見落としがあるのかもしれない。

 

初音の名前が付いているものをいくつか見つけたので、ここからはそれらを紹介することにしよう。

 

台東初音幼稚園

 

防災広場 初音の森

 

初音小路

ここは多くの方が紹介している。

そちらを見ていただいた方がいいと思うので、興味がある方は調べてみてね。

 

町会

旧谷中初音二丁目の町会は谷中親和会となっているようで初音の名は残っていない。

 

旧町名区域図①

 

旧町名区域図②

 

何か違うなあ。

並べてみよう。

左の地図は上が北だが、左の地図は上が南になっている。

上が南の地図は慣れていないので、見づらい。

 

谷中初音町四丁目以外の旧町名由来案内とは、谷中初音町二丁目と谷中初音町三丁目。
谷中初音町一丁目は探してみたが、見つからなかった。
ないのかな?

 

旧町名由来案内 谷中初音町二丁目

初音町という町名は、谷中初音町三丁目から四丁目にかけたところに鴬谷と呼ばれるところがあったことから、鴬の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことである。
谷中初音町は、はじめ一丁目から三丁目として誕生した。明治二年(一八六九)のことである。四丁目ができたのは、それより少し遅い明治四年である。その後、谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併して谷中初音町としての町域を確定したのは明治二十四年のことである。
谷中初音町二丁目は、元禄一七年(一七〇四)に町屋の開設が許されてできた天王寺門前町が改称された町である。

 

旧町名由来案内 谷中初音町三丁目

初音町という町名は、谷中初音町三丁目から四丁目にかけたところに鴬谷と呼ばれるところがあったことから、鴬の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことである。
谷中初音町は、はじめ一丁目から三丁目として誕生した。明治二年(一八六九)のことである。四丁目ができたのは、それより少し遅い明治四年である。その後、谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併して谷中初音町としての町域を確定したのは明治二十四年のことである。
谷中初音町三丁目は、慶安元年(一六四八)に町屋が開設されてできた天王寺門前町が改称された町である。むかし、この付近では生姜がつくられていた。次第に、その生姜は全国に広がり、いつしか「谷中生姜」とよばれるようになった。

家屋調査済証 加須町

当ブログでは家屋調査済証も旧町名の痕跡の一つとして紹介することにしている。

 

発見日  2023年1月19日

発見場所 埼玉県加須市

 

4枚のプレートが縦に並んでた。

 

①上から3番目に加須町時代の家屋調査済証があった。

北埼玉郡加須町が市制施行して加須市となったのが1954年(昭和29年)5月3日なので、約70年以上も前のものだ。

 

加須市になってからのもの タイプ1

 

加須市になってからのもの タイプ2

②より③の方が新しいものと思われる。

 

家屋調査済証とは、家屋を新築または増築した年に、税務課職員によって家屋調査を行ってもらったということを示すもの。

加須市のものはネットになかったので、群馬県高崎市の市税条例施行規則のものになるが、以下の条項があった。

(家屋調査済証)

第28条 法第409条に規定する固定資産の評価において家屋の調査を行った場合は、当該家屋の適宜な箇所に家屋調査済証(様式第47号)をはり付けるものとする。

 

埼玉県新座市では、家屋調査済証を配布していたが、つい最近の令和3年度から取りやめたそうだ。

大塚公園 露壇(ろだん) 東京都文京区

探索途中のトイレ休憩で東京都文京区にある大塚公園を訪問した。

この公園は以前も立ち寄ったことがあるのだが、その時はあまり公園内を見学しなかったと思う。

 

訪問日  2022年12月17日

訪問場所 東京都文京区大塚4-49

 

紅葉の向こうに何かが見える。

12月半ばなので、季節的には紅葉のシーズンは終わりだと思うが、まだ見頃のモミジがあった。

 

大塚公園(文京区ホームページより)

昭和3(1928年)年に開園した由緒ある公園で、昭和63年(1988年)から平成3年(1991年)にかけて改修が行われました。春日通りに面した入り口広場は、石張りの奥の藤棚とともにモダンな雰囲気を漂わせています。入り口から右手に行くと露檀(ろだん)があり、その前のトレリスが落ち着いた景観を造りだしています。そこから一段下がった所には開放的な階段広場に挟まれたバルコニーがあり、そこからは広い自由広場が眺められます。ケヤキなどの大木に囲まれた自由広場からは、パーゴラの後ろの大噴水を望むことが出来ます。高さ4mのシャンパングラスの形をした台からは、水が噴出し石張りの池に落下しています。この公園は歴史の古さを感じさせる中に、現代的なデザインを取り入れているのが特徴です。

 

公園の地図


テラス~露壇

サッカー少年がいた。

中々どいてくれないので、待ちきれず撮ってしまった。

基本人は入れたくないのだが、後ろ姿だからいいよね。

 

階段広場

1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)に大規模な改修が行われ、ベランダのライオン噴水口がふさがれた。

 

露壇(ろだん)

露壇(Terrace)

 「露壇」とは、テラスのことです。16世紀から17世紀のイタリアでは、地球買いに面した丘陵地に裕福な市民のビラ(別荘)が多く作られました。そこでは斜面を階段状に造成した土地に、カスケード(水階段)やテラス(露壇)で結んだ庭を造り、下方に広がる風景を庭の一部に取り入れる(借景)という、独特の庭園様式が発達し、「イタリア・ルネサンス式」又は「露壇式」と呼ばれています。文京区の公園では、大塚公園の他、元町公園(昭和5年開園)にも同様のデザインがみられます。
 この露壇は昭和3年に造られ、長い年月の間に老朽化が進みましたが、平成元年(1989年)、開園当時の姿に復元しました。

文京区役所

 

今回の再訪で歴史を感じるものが残されている公園だということがわかった。

ということで公園巡りも一つの趣味とすることにした。(既に趣味になっているのだが。)

たぶんこの方面のマニアの方たちがいるに違いない。

その方たちの情報を参考にしながら、公園巡りで歴史遺産を発見し、ブログで紹介していきたいと思っている。

不動岡町道路元標 埼玉県加須市

不動ヶ岡不動尊 總願寺の山門が太陽の光で黄金に輝いていた。

道路元標は山門入口の道路沿いにあった。(写真では右下)

 

発見日  2023年1月19日

発見場所 埼玉県加須市不動岡二丁目9

 

正面

27cm角、地上高59cm

 

真上

歴史

もとは江戸期より存在した不動岡村であった。

1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、不動岡村、下谷村、岡古井村が合併し北埼玉郡不動岡村が成立する。旧村は不動岡村の大字となる。

1928年(昭和3年)11月1日
不動岡村が町制施行し不動岡町となる。

1954年(昭和29年)5月3日
加須町、三俣村、礼羽村大桑村、水深村、樋遣川村、志多見村と合併し加須市となる。不動岡町の大字は加須市に継承された。

 

地名の由来

元々は当地を岡村(岡郷とも)と称されていたが1039年(長暦3年)の利根川(現、会の川)の氾濫で不動尊が当地に流れ着き、堂を建てて安置(現、總願寺)したことがこの地名の由来である。