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電力プレート 東京都府中市

東京都府中市に現存する電力プレート1枚である。

 

①バンバ-6

発見日 2021年6月14日

「バンバ」は「番場」で現町名には存在していない。
従って、旧町名であるはずだが、ネットで調べた限り、見つけられなかっただけかもしれないが、以下のような情報しか得られなかった。

「番場宿」と称するようになったのは寛永13年(1636年)のことと言われている。
地名の起こりは、不明だが、馬場の転訛とか、番所があったからとの説があるようだ。
「番場宿」は旧村名であり、府中三宿のひとつで、現在の宮西町2、4、5丁目付近に集落の中心があった宿場である。

「番場宿」は中山道にも同名の宿があり、単独で存在しているため、府中三宿のひとつである「番場宿」よりは知られているようだ。

もう少し調べる必要はあるが、この電力プレートは府中市の重要な歴史の痕跡のひとつであることには変わりがないだろう。

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琺瑯住所プレート 羽田二丁目16番地

発見日  2020年8月15日

発見場所 大田区羽田3丁目

現在は、「羽田三丁目」になっているが、設置時期は「羽田二丁目」だったようである。そこで、「羽田三丁目」の沿革を明治まで遡って調べてみた。

明治22年(1889年)
市制町村制施行に際し、1町22村が廃置分合され、荏原郡蒲田村、六郷村、羽田村、矢口村の4村に編成された。
この時の町名は、羽田村羽田猟師町だったようある。
1889年以前は羽田猟師町と呼ばれていたようある。

明治40年(1907年)
町制を施行し、羽田町となった。

昭和7年(1932年)
蒲田区が成立する。
羽田町域は羽田一丁目から三丁目等に編入される。
ここで住所プレートに表示されている町名「羽田二丁目」が登場する。

昭和33年(1958年)
羽田一丁目から羽田三丁目を羽田一丁目から羽田六丁目に再編。
この時点で、「羽田二丁目」から「羽田三丁目」になったようである。

ということは、このプレートは、昭和7年(1932年)から昭和33年(1958年)の間に設置されたと思われる。となると、少なくとも設置されてから、60年以上が経過していることになるわけだ。

国立市タイプ」と同様自治体名が記載されていないが、これは、「羽田」で大田区とわかる。
国立市琺瑯住所プレートの記事は最初投稿した時は、何も文章を記述していなかったのだが、加筆したので、お時間がある方は、再訪問をいただけるとありがたい。

右上に町名、左上に丁目、下部に番地という他では見ない構成である。
大田区で発見できた琺瑯住所プレートは、今のところ、これ1枚だけだが、「大田区タイプ」と名付けることにしよう。

「羽田」の「羽」の字の右下に真円に近い穴が開いているのが残念だが、ここだけ腐食したのだろうか?

これが設置されている下に金属住所プレートも設置されているのだが、それは別の機会に紹介することにしたい。

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非琺瑯町名看板 埼玉県草加市

埼玉県草加市に現存する非琺瑯町名看板1枚である。

 

谷塚町42

発見日  2020年10月19日

発見場所 埼玉県草加市谷塚1丁目

広告主  松伝家具センター

谷塚町と42の間に数字があるようだが、錆びていて読み取れない。設置場所からすると「谷塚町42」でいいはずなのだが。

谷塚町は旧町名なので、沿革を調べてみた。

1958年(昭和33年)11月1日 草加町大字下谷塚から谷塚町に地名変更。

2011年(平成23年)7月18日 谷塚町の東武線左側、谷塚上町の一部から谷塚一丁目~二丁目が成立

広告主である松伝家具センターは、もう現存していないが、以前紹介した琺瑯町名看板の広告主でもあった。

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非琺瑯町名看板 東京都墨田区

東京都葛飾区に現存する非琺瑯町名看板1枚である。

縦型の非琺瑯町名看板である。
街区表示板か金属住所プレートのカテゴリーにも当てはまりそうだが、非琺瑯町名看板のカテゴリーにした。

今のところ、このタイプの縦型非琺瑯町名看板は、東京都内では、この1枚しか発見できていない。

縦型の場合、〇丁目の〇は漢数字が一般的だが、アラビア数字になっているのが、ユニークである。

 

墨田区東駒形2丁目10

発見日 2020年10月17日

広告主 読み取れないため不明

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非琺瑯町名看板 東京都葛飾区

東京都葛飾区に現存する非琺瑯町名看板1枚である。

丁目、番地部分のサビが激しいが、まだ読み取れる状態である。

 

①青戸3丁目24

発見日 2021年8月24日

広告主 メガネのスズヤ

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琺瑯住所プレート 東京都練馬区

東京都練馬区に現存する琺瑯住所プレート4枚である。

写真を横に並べて、それぞれの写真の上に説明を書きたいのだが、PCだと問題なく表示されるが、スマホだと思い通りに表示されない。いろいろ試してみたがうまくいかない。そのため、わかりにくいかもしれないが、我慢していただきたい。

①と②の説明は②の写真の後に記述している。

 

練馬区小竹町一丁目37番地

発見日 2020年7月30日

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練馬区小竹町一丁目38番地

発見日 2020年7月30日

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①と②が設置されているところを、少し離れた所から撮ったのが左の写真である。小さくて琺瑯住所プレートがどこにあるかわからないかもしれない。結構急な坂に積み上げられた花崗岩?ブロックの擁壁の上に設置されている。

右の写真は近づいて撮った写真である。左が37番地で右が38番地になっている。
38番地の方が道路から離れているので、設置が難しそうな感じだ。
どうでもいいことだが、自分だったら、高さを揃えたいので、37番地は38番地に合わせて下にずらし、同じ高さに設置する。
地図で見ると、両方とも37番地の住宅の擁壁に設置されているような感じだが、38番地側に細い道があり、ちょうどそこが37番地と38番地の境界になっているのだろう。

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練馬区小竹町一丁目57番地

発見日 2020年12月17日

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練馬区桜台一丁目36番地

2020年12月17日

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琺瑯住所プレート 目黒區下目黒三丁目四八九番地

発見日  2019年12月24日

発見場所 東京都目黒区3丁目

本日(2021年9月14日)再訪し、設置されている建物と琺瑯住所プレートの無事を確認し、写真を取り直してきた。

下目黒は現存する町名だが、区名が「區黒目」と右から記載され、住居表示実施前の旧地番となっているため、戦前の物と考えられる。
今のところ、目黒区内で確認できている現存の戦前と思われる琺瑯住所プレートはこれ1枚である。

このようなタイプの物は、戦前の物と考えられる物が多い。徐々に紹介していきたいと考えている。

※「區」は「区」の旧字である。

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