歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

乱橋と旧町名「鎌倉市乱橋材木座」と「神奈川縣鎌倉郡鎌倉町乱橋材木座」

小町大路を歩いているといくつか橋があった。

その中のひとつ。

1mほどの長さ。

小さい橋だなあ、と言うのが第一印象。

橋名が刻まれていた。

亂橋

むむ、読めない。

乳橋?

違うよなあ。

裏面

明治の文字しか解読できない。

他の石標に「明治四十三年十月建立 鎌倉保勝會」と刻まれているものがあったので、それと同じなのかもしれない。

橋のたもとに市内でよく見かける史跡案内の石碑が建てられていた。

正式名称は「史蹟指導標」というらしい。

いくつかの団体が建立していたようだ。

大正6年(1917) から大正10年(1921)までの鎌倉町青年会が16基。

大正11年(1922) から昭和14年 (1939) までの鎌倉町青年団が52基。

昭和15年(1940) と昭和16年 (1941) の鎌倉市青年団が6基。

昭和31年(1956) の鎌倉友青会が3基。

大正期の鎌倉同人会が3基。

合計80基

見かけるたびに撮ってはいるが、まだまだあることがわかった。

「近代鎌倉の青年団による史蹟指導標の建碑」という資料に所在地が載っていた。

これも全部探して見たくなった。

ちゃんと歴史も味わいながらね。

さて、これであの字を「乱」と読むことが分かった。

この石碑には、

乱橋又濫橋ト作リ 一石橋ノ名ナリ 橋ノ南方ニ連理木アリテ名高シ 東鑑ノ宝治二年六月ノ条ニ 十八日寅刻 濫橋ノ辺一許町以南 雪降リ其ノ辺霜ノ如シナヨアリ 辻町ト材木座トヲ境スル細流ニ架セル逆川橋ト共ニ鎌倉十橋ノ一ナリ

書かれている。

何となく意味は分かる。

乱橋は材木座の北東から西へ流れる滑川に注いでいる小川にかかる石橋で、橋の名の由来は、元弘3年(1333年)新田義貞の軍勢が鎌倉へ攻め入ったとき、幕府の防御線がこの橋のあたりで崩れて乱れ始めたので、乱橋と呼ぶようになったと一般的には言われているが、『吾妻鏡』には新田義貞の鎌倉攻めより前の1248年(宝治2年)に濫橋の名が出ており、滑川の支流の氾濫が由来ともいわれている。

鎌倉十橋(かまくらじっきょう)は、十王堂橋、勝ノ橋、裁許橋、針磨橋、琵琶橋、夷堂橋、筋違橋、歌ノ橋 逆川橋、乱橋のことを指す。

この時は、当然のことながら、この後に旧町名の痕跡を発見できるとは、夢にも思っていなかった。

でも、探索している時は見つかるといいなと言う淡い気持ちだけは常に持っている。

橋を後にして先へ進む。

そうすると店の中に赤いものが見えた。

あれだった。

そう、たばこ販売店琺瑯看板。

乱橋材木座

さっき見た乱橋と関係がある町名か?

旧町名については帰ってから調べることにして、とにかく旧町名の発見に大興奮する。

しかし、撮った写真を見ると手前の防虫網に焦点が合ってしまっていた。

こんなことがあるんかい。

当然、読めない。

もう1枚撮ってみたが、それもよく撮れていない。

仕切り直して、帰りに寄ることにしよう。

これを発見しただけで舞い上がっていたのだが、更に道を進むと、店の中に青い塩小賣所の琺瑯看板があるのが目に入った。

近づいて見ると、その上に煙草小賣所の赤い琺瑯看板があった。

塩小賣所には塩小賣人の住所、氏名が書かれていなかった。

しかし、煙草小賣所の住所を見て驚いた!!

なんと!!「鎌倉郡鎌倉町」時代の"乱橋材木座"だった。

鎌倉市の歴史を調べてみよう。

1894年(明治27年)7月7日
西鎌倉村および東鎌倉村が合併して、町制を施行し鎌倉町が発足する。

1939年(昭和14年)11月3日
腰越町と合併、市制を施行し鎌倉市となる。

とある。

ということは、これは1939年(昭和14年)以前、ということは戦前のものだ。

自分的には久しぶりの大物の発見!!

乱橋材木座には上河原、下河原、蔵屋敷、能蔵寺、弁ヶ谷、中島、門前の小字があったそうなので、これに小字が付いていれば、更によかったけど。

贅沢は言わない。

この先も行きたかったのだが、そろそろ帰りの時間かな。

先ほどうまく撮れなかった場所へ戻る。

防虫網がないところがあったので、撮り直す。

よかった、無事、任務完了!

さて、旧町名「乱橋材木座(みだればしざいもくざ)」について調べてみよう。

『新編相模国風土記稿』によると、材木座村はもともとは一村であったのが、後に乱橋村と材木座村の二村に分かれたとする。だが、以後も乱橋材木座村として一括して扱われていたようである。

1889年(明治22年
乱橋材木座村は長谷・坂ノ下・極楽寺の各村と合併し、鎌倉郡西鎌倉村の大字乱橋材木座となる。

1939年(昭和14年)11月3日
鎌倉町と腰越町が新設合併したうえで市制を施行し、鎌倉市を発足し、乱橋材木座鎌倉市の町名となる。

1964年(昭和39年)10月1日
住居表示が実施され、乱橋材木座由比ガ浜2丁目~4丁目および材木座1丁目~6丁目となった。