境界石
次の目的地としていた鎌ケ谷市をネットで調べていたところ、陸軍の境界標があることが分かった。 2025年7月5日、鎌ケ谷市郷土資料館に何か資料がないかと訪問したところ、入口付近に陸軍の境界標が展示されていた。 境界標 カーブ修正箇所【新京成線】 新京…
2025年7月12日、大田区を探索中に初めて見ると思われる境界標らしきものを見つけた。 指している方向(南)だけでなく、全方向が大田区内にあるのに、なぜ「大田区方向」の矢印があるのだろうか? 何らかの目的があるのだろうと思って調べてみたが、これにつ…
2025年4月10日早朝探索中に偶然発見したもの "京都市""境界キスマーク"で検索してみたところ、ヒットしないので、京都市初かもしれない。 自治体の境界と違って、見つけようとして見つかるものでもないのかもしれない。 京都市と国鉄(工マーク) 境界で石材の…
2025年4月14日、川越市を探索中にさいたま地方検察庁川越支部の角に境界石があるのに気が付いた。 昭和十一年 司法省と刻まれていた。 左隣は裁判所 その端にも草に囲まれている境界石があった。 司法省(しほうしょう)は、1871年(明治4年)から1948年(昭…
「巣鴨町」時代のものと思われる境界石が2ヶ所にあるらしいということが分かった。 2025年2月6日、調査隊を派遣する。1ヵ所目は豊島区駒込三丁目と北区西ヶ原一丁目の境界上にあるらしい。旧巣鴨町と旧瀧野川町の境界ということになるだろう。北区の住居表示…
今回探索するのはこの辺り。 不忍通りの護国寺西交差点の近くの歩道上にある陸軍省の境界石 正面 右に傾いている。 何があったのか? 真上 護国寺へ護国寺仁王門 境内の音羽富士付近にある古い量水器の蓋 不老門 本堂 護国寺墓地 北西奥に音羽陸軍埋葬地があ…
せせらぎとみどりの散歩道 廻田緑道 廻田緑道を歩いていると道路脇に境界標があった。 発見日 2025年1月4日 発見場所 東京都東村山市廻田 元は埋まっていたと思われる部分も出ていた。 正面 古そうな感じがするけど東京市紋章ではないよね。 左側面「境」 裏…
今回は、「麻布桜田町」時代の痕跡を紹介することにしようと思い、2025年1月21日現存を確認しに行く。 そうしたら、テレビ朝日通り沿いが仮囲いで覆われていて、再開発の真っ最中だった。 撮り忘れていた櫻田神社を撮りに来たのだけど、無くなっていた。 こ…
東村山市ふるさと歴史館に展示されていた陸軍少年通信兵学校関連の資料 左下に陸軍境界標石の写真があり、市内に境界標石が4本現存しているらしいことを知り、探してみることにした。 撮影日 真夏の2024年8月24日 真冬の2025年1月4日東村山市立東村山第一中…
2024年10月7日、約4年振りに山手駅付近から探索を開始する。 この日の最高気温28.9℃、10月なのに暑い! 久し振りにアブラゼミの鳴き声を聞く。大和町通り 琺瑯町名看板の現存を確認する。 大和町電停前? 1972年3月31日に廃止された横浜市電の電停のことだっ…
最近、何度か探索のために中華街を訪問しているが、調査しているといくつかの境界石が存在していることを知った。 近くを歩いたことがあるのに、うかつなことに気が付いていなかった。 境界石があると聞いたら、行かないわけにはいかない。 石川町駅北口に降…
2024年10月1日、横浜市南区八幡に鎮座する中村八幡宮を訪れる。(家に帰って調べたら、約4年前の2020年11月9日に訪れていたことがわかったが、全然記憶になかった。) まず目に入ったのが、鳥居の手前に設置されている説明板。 内務省地理寮水準点? かっこ…
横浜市の境界石のことを調べていたら、「居留地境界石」「道路境界石」「敷地境界石 」という3種類の馴染みがない境界石が存在していることを知った。 まず横浜の居留地のことを少し調べてみた。 1858(安政 5)年にアメリカなど列強との間で締結された通商…
2024年8月19、20日、ブログ開設3周年を迎える前の日と迎えた記念の日、東京の最高気温34℃台とほぼ猛暑日の中、東久留米駅から探索を開始した。 実は18日時点ではここの存在はあまり知らず、19日はほぼ逆走しただけで、家に帰ってから、ネットで事前調査し、2…
總持寺方面から「やすらぎのこみち」を歩いていく。 発見日 2024年8月23日 発見場所 東京都西東京市田無町三丁目右側の路地の先を見ると、レトロ電柱が立っているが見えた。 1本目の路地 ① これは役目を終えていた。上部の装飾 ここのは下部の土台がどっしり…
ひばりが丘団地は、1959年(昭和34年)に日本住宅公団(都市再生機構=URの前身)が中島航空金属田無製造所の跡地に造成した。 1999年(平成11年)から2012年(平成24年)にかけ、大規模な再生事業が行われ、中層マンション、戸建て住宅、公共施設が複合した…
清瀬町時代の下清戸を探すため、Googleマップを見ていたら、気になるピンを発見した。 ストリートビューで確認しようとしたが、行けないところにあった。 以前、志木街道沿いのその道に近いところには来たことがあるので、土地勘はあった。 2024年7月18日、…
新国立競技場方面からスタジアム通りの右側の歩道を歩いていると、青山高校がある。 校門の先の道を右へ曲がり、道沿いに歩いていく。 右側は青山高校のテニスコート。 突き当りの電柱の右下に石柱が覗いていた。 正面 右側面 真上 左側面 ここに文字が刻ま…
前編では新宿文化センターに向かう途中の左側にあったものを中心に5本の東京市電氣局の境界石を紹介した。 citywalk2020.hatenablog.com 後編では、前編と反対側の歩道にあったもの(新宿文化センターを北上し、左側にあったもの)を中心に紹介していくこと…
今回は新宿区にある陸軍の境界石を探しにひとりツアーをしてきた。①慶応義塾大学病院 発見日 2024年3月21日 発見場所 東京都新宿区信濃町 慶應義塾は1917年11月 四谷区信濃町の陸軍用地を購入し大学医学部と病院の本拠とした。本標はこの地が陸軍省所轄地で …
2024年4月7日の朝日新聞の社説に「ブラタモリ 独自の探求を楽しもう」というのがあった。 そこに「ブラタモリという言葉は、野外活動が必要な学問を社会に広げる活動の代名詞でさえある。」「興味のおもむくまま自分なりの「ブラ」を深めるのは、きっと楽し…
事前調査で文化センター通りに東京市電氣局の境界石が4ヶ所に設置されているらしいことが分かっていた。本題に入る前に東京市電氣局のことを説明しておかなければならない。 と言っても、人の受け売りだが・・・。 1911年(明治44年)8月1日 - 東京市(当時…
①次の目的地へ向かう途中、千駄ヶ谷二丁目バス停付近で東京府の境界石を発見した(2024年3月19日)。 2024年3月21日、上の境界石を発見した周辺(千駄ヶ谷二丁目)を探索。②千駄谷小学校の角を曲がった突き当りに境界石が見えた。 何か刻まれているようだが…
日陰ではまだ雪が残っていた。 地元さいたま市では残っているところは見かけなかった。 上尾市ではそんなに降ったのかな?境界標、境界杭、境界石と色々呼ばれている。 当ブログでは境界石で統一しておこう。「工」と刻まれた境界石。 カタカナの「エ」では…
次の目的地に行く途中に足を止めさせられてしまうものが道端に潜んでいた。 よく気が付いたね。 褒めて遣わそう。発見日 2023年12月21日 発見場所 神奈川県川崎市川崎区桜本二丁目 それは日本鋼管(現JFEスチール)の境界石だった。 真上 右下に右斜め下に向…
日光街道を歩いていると上の方に石碑が見えたので立ち寄ってみた。発見日 2023年12月5日 発見場所 埼玉県幸手市内国府間887番地付近 石碑がいくつか並んでいた。 後方に見える道が日光街道。行幸堤之碑 権現堂堤は、権現堂川の水防のために江戸時代になる前…
目黒区にも三田という町名がある。 港区の三田と関係があるのかはわからない。 ワカラナイではなくて調べてみなさい。 ハイ、ワカリマシタ。 調べてみたところ、目黒区にある三田は目黒三田とも呼ばれ、現在では港区三田とは遠く離れた別個の町であるが、元…
狭い範囲だが、高輪台小学校があるこの辺りは探索したことがなかったような気がする。 何か見つかるだろうか?港区立高輪台小学校 東京都選定歷史的建造物港区立高輪台小学校 (旧東京市立高輪臺尋常小學校)所在地 港区高輪2-8-24設計者 東京市土木局建築課(…
甲州街道の歩道を歩いていたところ、谷保天満宮付近で「東京府」と刻まれている境界石を発見した。 左側のコンクリートの擁壁の上に頭を出していた。右側に谷保地下歩道が見えるのだが、歩道橋ではなく、地下歩道というのは珍しくないだろうか? 発見日 2023…
今回は小金井市で発見したふたつの境界石を紹介することにしよう。 郵政省電波研究所 郵政省用地 郵政省電波研究所 小金井市文化財センターへ向かうため、仙川沿いを歩いていたところ、何かの境界石を発見した。 発見日 2023年9月9日 発見場所 東京都小金井…