2020年5月以来の野田市だった。
2023年7月20日、久しぶりに再訪したところ、野田児童遊園でコンクリート製のレトロ電柱を1本だけ発見した。
1本だけということはないだろう、まだあるのかなと思いつつ、しばらく足が遠のいていた。
野田市郷土博物館が月曜日に開館していることが分かり、8月21日再訪することにした。月曜日は多くの自治体の資料館などは休館日となっているので、月曜日に開館しているのはありがたい。
発見日 2023年7月20日、8月21日
全部で11本発見したので、3回に分けてお届けしよう。
初回の今回は4本を紹介しよう。
コンクリート製の電柱しかないと思っていたのだが、木製のものもあった。
それはキッコーマンの工場にあった。
木製の電柱①
工場内には入れないので、門辺りから撮る。
写真だとわかりにくいが、木製のもの。奥にももう1本あるように見えたが、はっきりと確認できなかったので、撮らなかった。
次のものは、キッコーマンの工場の隣にある野田小型運送の塀沿いにあった。
木製の電柱②
木製の電柱③
上の方にプレートが付いていたので、撮ってみたが、解読できず。
野田小型運送はキッコーマンの茂木克己元社長の命により、1967年(昭和42年)に6運送会社が合併し誕生。
その後、野田市郷土資料館に立ち寄る。
『令和5年度企画展・収蔵品展 いつかだれかの映え視展』が開催されていた。
野田市郷土資料館を出て、右に行くとすぐT字路があり、そこに公園がある。
その公園には野田市で初めて発見したコンクリート製のレトロ電柱が役目を終え、ひっそりと佇んでいた。
野田児童遊園(茂木佐公園)
醤油醸造を代々家業としていた茂木佐平治家の所有地を1926年(大正15年) 5月から一般公開している公園。
電柱の後ろに見えるのは野田市郷土博物館。
このレトロ電柱の細部を見てみることにしよう。
電柱の最下部は、埋められることなく、残っていた。
下部の表面のコンクリートが削れており、数本の鉄骨が剥き出しになっている。
車にぶつけられた?
正面のプレートは外されており、一部鉄骨が覗いている。
後面にあるプレートも外されていて、中が丸見え状態となっていた。
今まで見てきたレトロ電柱はほとんどこんな状態だった。
最上部
写真だとわかりにくいが、ちょっと変わったデザインをしていた。